言葉…03
高遠の変化にいささか戸惑った所為で、少し間を置いてしまうものの、僕は本題に入る為に口を開いた。
「それで、僕は何をすればいい?生憎、僕はただのガキだ。仕事の事なんか分からないし、力だって自慢出来るほどは無い。成績も普通だし、何の役にも立たないと思うけど…」
「いえ、真夏さんに仕事を手伝わせる気は有りません」
予想もしなかった答えに面食らった僕の前へ、高遠は静かに近付いて膝を付き、まるで懇願するように僕の手を取った。
「真夏さん、まだ…分かりませんか?」
「…何が、」
「私が、貴方を頂きたいと云った言葉の意味です」
精悍な顔が、真剣な表情をして此方を見上げている。
記憶の中の高遠は、いつも僕を見下ろしていたのに……今は、見上げている。
たかがそんな事ぐらいで胸が熱くなって、ひどく、どきどきした。
「わ…分かんない。仕事を手伝わせる気じゃないなら、何の為に僕を?」
真っ直ぐに見つめて来る高遠の双眸から、眼が離せない。
少し遅れながらも答えると、彼の双眸がすぅっと細められた。
高遠のそんな仕種を初めて見た僕は、言いようの無い恐怖感から身体を強張らせてしまう。
傍に居るだけで安心していた、昔のあの和やかな雰囲気が今は全く無くて
もしかすると怒り出すのかも知れないと、あの優しくて穏やかな筈の高遠が、僕に手を上げるんじゃないかとすら思った。
指の先から徐々に身体が冷えてゆくのが分かって、ごくりと喉を鳴らすと高遠は薄く笑い、僕の指をそっと撫でた。
「真夏さん、セックスの経験は?」
「…はっ?」
唐突な質問に、思考が上手くついていかない。
「セックスの経験は有るか、お聞きしているんです」
「そ、そんなの…なんで言わなきゃいけないんだよっ」
気おくれた様子も無く平気でそんな言葉を口にする高遠に、ひどく驚いた。
記憶の中の高遠は、そんな事を言うような人間じゃなかった。
慌てて高遠の手を振り払おうとしたけれど、三日前と違って彼の手はしっかりと僕の手首を掴んでいて、簡単には離れない。
「真夏さん、答えてください」
穏やかでも無く、鋭く強い口調で返答を促され、僕は一度きつく歯を咬んだ。
答えるのが悔しくて堪らなかったけれど、高遠の鋭い声をまた聞くのが嫌で、僕は顔を背けてから弱々しい声を零す。
「…し、した事……ない…」
「そうですか、それは良かった」
何が良いのか意味が分からなかったけれど、高遠の声がいつもの穏やかなものに戻った事に、心から安堵した。
小さく息まで吐いた途端、いきなり顎を掴まれ、背けていた顔を戻される。
眼に映ったのは、嫌味なぐらい整った、高遠の顔。
だけど位置があまりにも近過ぎる所為で思考が一瞬止まった僕の唇に、何かが触れてすぐに離れた。
「キスも、初めてですか?」
やけに真面目な顔をして尋ねられても、頭の中が真っ白になってしまって、何も考えられない。
ただ呆然と、相手を見つめ返すしか出来ずにいた僕の唇に、再度、冷たくて柔らかいものが重なった。
それは先ほどよりもずっと深く重なって、またすぐに離れる。
「今の…って…キ、ス…?」
「ええ、キスですよ。」
少し動けばまた唇が触れそうな位置で、高遠が答える。
顔色一つ変えずに平然と答えた高遠が信じられず、僕はすぐさま唇を動かした。
「な、何でキス…んっ、」
尋ねかけた言葉は、三度目のキスによって掻き消された。
再び深く重ねられ、また頭の中が真っ白になる。
驚きで目を見開く僕の頤を、高遠は指で押して口を開かせ、何かを口腔に滑り込ませて来た。
逃げる間も無くそれに舌を絡め取られ、強く吸い上げられる。
「ふ…っぅ…ん…」
刺激的過ぎる口付けに上手く息が吐けず、身体は芯から熱くなって、何も考えられない。
咄嗟に高遠の肩を掴むと、舌は解放されたものの、今度は上顎をなぞられて身体が震えた。
ゆっくりと、這うようになぞられ、下腹部がひどく疼く。
堪らずに目をきつく瞑った途端、僕の口腔からそれは抜き去られ、高遠の唇が離れた。
「真夏さん…好きです、」
息を乱して脱力し、背凭れへ身を預けた僕の耳に、衝撃的な言葉が入る。
先程のキスの所為で頭が上手く働かず、相手を見つめることしか出来無い。
すると高遠は不意に、僕を軽々と抱き上げた。
「移動するだけですから、安心してください」
唐突な浮遊感に驚く僕に向けて、宥めるように優しい声音でそう言ってから高遠は進み出した。
何処へ、と尋ねようとしたけれど、舌が上手く回らない。
高遠はそれ以上声を掛ける事なく進み、明かりの点いていない部屋へと僕を連れて行った。
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