言葉…10

 本当は、高遠が僕に黙って姿を眩ませてから苦しんだ期間――――八年以上は、罰を与えてやろうと思っていた。
 だけど………もう僕の方が限界だ。
 もう、楽になりたい。
 いつまでも意地を張り続けているのも馬鹿らしいし、楽になって全部曝け出して、高遠に大切な言葉を告げたい。

 ベッドから降りた僕は、何も纏わないままで、高遠の姿を求めて進み出した。
 僕が寝ているか気絶している間に彼が家を出て行く筈は無いから、多分、隣室の書斎に居るのだろうと考える。
 書斎に続く扉が開け放している辺り、自分の予想は確定に近かった。
 足音を立てずに慎重に進むと、書斎から話し声が聞こえて来る。
 そっと中を覗いてみれば、高遠は僕に背を向ける形で椅子に座って、電話で誰かと話をしていた。

「……ハッ、構わねぇだろう。先に悶着起こしたのは、仲条組の方だ」
 普段の穏やかで優しいものじゃなく荒々しい口調で喋る高遠は、もう何度も目にした事が有るから今更驚きはしない。
 彼の事務所へ行ったことも有るから、ドスの利いた声も何度も耳にした。
 だけど何度聞いても恐くて、足は震えてしまう。
「執行部の腰抜け連中は、手打ちだ何だのと騒いでやがるが…生憎俺は、売られた喧嘩は買う主義でなぁ。……血の雨降らさねぇと気が済まねぇんだよ」
 恐ろしいことを平気で口にする高遠の方へ、震えた足で歩み寄ると、すぐに彼は気付いたように振り返って目を細く眇めた。
 けれど、通話を終わらせようとはしない。
 相手が誰かは分からないけれど、何だか高遠を取られた気分になって、無性に腹が立った。
 彼の傍まで近付くと手を伸ばして携帯を奪い取り、勝手に電源を切ると机の上へ放り投げる。
 ひどく子供じみた自分の行動に、すぐさま嫌気がさしたけれど、高遠に呆れた様子は無かった。
 話の途中で電話を勝手に切られたと云うのに、怒り出す気配すら無く彼は微笑を浮かべた。

「真夏さん、そんな格好では風邪を引いてしまいますよ」
 高遠の真っ直ぐな視線が、僕の身体を舐め回すように、下から上へ向かってゆく。
 かぁっと熱が急上昇したけれど、前を隠す自分の姿を想像するとあまりにも間抜け過ぎたから
 隠すこともせずに高遠の傍まで近付き、彼の膝上へと腰を下ろした。
「ま、真夏…さん?」
 普段そんなことなどしない僕の行動に、高遠はひどく驚いて目を見開き、躊躇いがちに名を呼んで来た。
 どう切り出そうか迷いながら、高遠の喉元へ視線を向ける。
 黒いワイシャツの上の釦が外され、ネクタイまで緩んでいる所為で、形の良い鎖骨が良く見える。
 昔の高遠が今と同じ格好をすれば放漫だとしか思えなかったけれど………今の彼には、似合いすぎる。
 昔とは違って野性的で、何処と無く険悪な雰囲気を纏っている高遠は恐いけれど、とても魅力的で格好がいい。

「まだ持っていたんだ?てっきり、とっくの昔に捨てたのかと思ったよ」
 高遠のネクタイを手にして、僕はそっと目を伏せた。
 それは確かに、僕が幼い頃、お小遣いを溜めて高遠に買ってあげたものだ。
 幼かった僕は高遠に喜んで貰いたい一心で、けれど何をすれば喜んで貰えるのか分からなくて……ただ、何かをあげる事しか思いつかなかった。
 だけど高遠は、僕が何をあげても喜んで、嬉しそうに微笑んでくれた。
「捨てませんよ。真夏さんがくださった物は、私にとって宝物ですから」
「へぇ…じゃあ、僕が昔あげた物ぜんぶ、保管とかしてる訳?」
「ええ。お見せしましょうか、」
 目を細めて笑う高遠の返答に、思わず面食らった。
 まさか本当にぜんぶ保管しているなんて思っても見なかった僕は、胸中でひどく戸惑う。
「あの、ほら…あれ。道端で拾った綺麗な石ころとかも?」
 じっと相手を見据えながら問うと、高遠は当然だと云わんばかりに頷いて見せた。
「ば、馬鹿だろう、お前。ヤクザの癖に、何でそんなもの…いつまでも大事に取っておくんだよっ」
「宝物ですから」
 きっぱりと答えられて、僕は言葉を無くした。
 幼い頃にあげた物は大半が、がらくたばかりだ。それなのに大事に保管しているなんて……大馬鹿だ。
 大馬鹿過ぎるにも程があると考えるものの、正直、嬉しくてたまらなかった。


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