水槽…2

 長年嘉島に仕えて来た田岡は、嘉島が横暴で傲慢で、そして見栄を張る人物だと云う事を知っている。
 恋だの愛だの、そんなものを男相手に抱いている事など、嘉島の性格からして決して口には出来無いのだろう。

「ええ、気に掛けています。蓮さんは、組長の大切な方ですから」
「…馬鹿言え。あいつは、ただの玩具だ。愛人でもねぇ」
 吐き捨てるような言葉に、田岡は一度、胸中で溜め息を零す。
 素直になれば良いものをと考えるが、それはやはり、この男には無理な話なのだろう。

 ――――本当に、扱い難い人だ。
 再度胸中で溜め息を零して腕時計へ目を通すが、田岡は不意に、ある事を思い出した。

「そう言えば、組長…蓮さん、最近ろくに食事をとっていないみたいです。体調でも崩されてるのでは無いでしょうか」
「…何だと?」
「気になるのでしたら、部屋住みの人間に様子を見に行かせますが…」
「……いい、放っておけ。」
 忌々しげに舌打ちを零し、嘉島は素っ気無い言葉を返す。
 だが言葉とは裏腹に切れ長の双眸は落ち着きが無く、何度か室内を見回した後、舌打ちが数回零れる。
 苛立ったように煙草を取り出すと、田岡がすぐさまジッポライターを目の前へ差し出して来る。
 けれど半ば迷惑げにそれを手で遮り、嘉島は自分で火を点けた。

 蓮のことがひどく気になるが、誰かに様子を見に行かせる事を極力控えている理由の一つは、つまらない見栄だ。
 男を囲っていると云う倒錯的事実など体裁が悪く、その上、他から恐れられている武闘派嘉島組の組長ともあろう人間が
 抱き人形を何よりも気に掛けている事など、あまり知られたくは無い。

「組長、やはりご自宅に戻られて、ゆっくり休まれたらどうですか。蓮さんの事も有りますし…妙な病気に罹っていたら、面倒です」
 尤もな言葉を掛けられ、嘉島は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。

 ―――――あの美しい抱き人形を、他の人間の目になるべく触れさせたくは無い。
 そんな子供じみた独占欲も有る所為で、医者に診せる際は必ず嘉島が付き添う羽目になる。
 菅田を捕らえた際、付き添いが理由で身動きが出来無いとなれば、他の組員への示しもつかない。
 いささか迷うものの、やがて舌打ちを一つ零した後、嘉島は荒々しい足取りで進み出した。
「…菅田を見つけたら、直ぐに知らせろ。」
 苛立った口調で言葉を放ちながら、部屋の扉を乱暴に開ける。
 後方で田岡が微かに口元を緩めたが、それに気付く事も無く、嘉島は返答を待たないまま部屋を後にした。


 事務所内に居た組員の供を断り、珍しく一人で車を走らせて自宅に戻った頃、時刻は二十二時を過ぎていた。
 暫く誰も寄こすなと部屋住みの人間に声を掛けた上で、蓮の居る部屋へ真っ直ぐに向かう。
 己の立場をしっかりと弁えている蓮は、あまり部屋を出る事など無い為、今もあの部屋に一人で居る筈だ。
 部屋の前で一度足を止めた嘉島は、蓮が騒がしい音を嫌う為、敢えて静かに扉を開けた。
 が、正面のソファが目に映ると、僅かに眉を顰める。
 広いソファの上では、身体を丸めて横になっている蓮の姿があった。
 恐らく眠っているのだろうと推察するものの、こんな所で寝ていては風邪を引くと思い立ち、舌打ちを零す。
 あからさまに不機嫌な顔付きをしているにも関わらず、丁寧な仕種で扉を閉めると足音をなるべく立てずに近付き、上から相手の顔を覗き込んだ。
 あどけない表情で寝入っている蓮は目を覚ます気配も無く、静かな寝息を立てている。
 もし起きていれば即座に床へ押し倒して、普段しているように雑に抱いていただろうと、蓮の寝顔を眺めながら思案する。
 それが目的でこの青年を買ったのだが、無理に起こしてまでセックスを強要するつもりは無かった。

 一度自分の腕時計で時刻を確認し、再び蓮の寝顔へ目を向ける。
 こんな時間に何故寝ているのか疑問に思うが、嘉島は呼び掛ける事無く、慎重に蓮の身体を抱き上げた。
 一瞬、抱き心地に違和感を感じ、目線を落とす。
 以前抱いた時よりも若干細くなっている気がし、少し痩せたのかと考えた嘉島の脳裏に、食事をとっていないと告げた田岡の科白が響いて消える。
 何が原因か気になりながらも足を進め、仕切り戸を通って隣の寝室へ向かう。
 寝室の広いベッドの上へ蓮を丁寧に下ろした後、嘉島はふと、部屋の端に有る水槽へ目を向けた。
 青白く光る水槽の中では、無数の気泡が渦を巻きながら沸き立ち、小さな熱帯魚が数種類泳いでいる。
 種類も、そして何匹いるのかすらも嘉島には分からないが、半透明の身体を持つその魚達を、蓮がいつも飽きもせずに眺めていることは知っていた。



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