水槽…11

 先程から蓮は、しきりに窓の外を気にしている。
 窓の外は特に変わった様子も無く、目立つものと云えば夜景しか視界に入らない。
 だとすると、外に連れ出してやった事を感謝しているのかと、嘉島は思案する。
 つまらない見栄と独占欲が有る所為で、蓮を連れて外出した事など数少ないのだから、久し振りの外出を喜んでいてもおかしくは無い。

 不意に、ほんの少しだけ笑った先程の表情が、脳裏に浮かぶ。


 もっとこいつを、喜ばせてやりたい。
 あの水槽を買ってやった時のような、嬉しそうな笑い顔を何度も見たい。


 ―――――こいつの本音を、聞いてみたい。
 強い願いを胸中に抱いた嘉島は、口を開き、低い声音で蓮の名を呼んだ。

「……おまえ、もっと外に出てみたいと思うか、」
 窓から視線を戻した蓮は、嘉島の顔を暫く見つめるものの、首を縦にも横にも振ろうとはしなかった。


 本心は、出たい。
 だが自分は、望みも願いも口に出来る立場では無い。
 それに、嘉島の気に障ることをしてしまえば、両親に被害が及ぶかも知れないのだ。
 嘉島の気を損ねまいと、蓮はかぶりを振ろうとした。
 けれど手を伸ばした嘉島が、唐突に頬を撫でて来た所為で、頭の中は真っ白になってしまう。

「別に怒らねぇから、正直に答えろ。」
 穏和な声音が耳に届くと、蓮の瞳が大きく見開かれる。
 都合の良い夢かと思うほどに、場の雰囲気も嘉島の表情も驚くほど穏やかで、胸が熱くなった。
 ほぼ無意識に頷くと、嘉島は口端を上げ、会心の笑みを見せる。
「そうか。……おまえの望み通りにさせてやっても良いが、外出する時は俺も一緒だ。俺がおまえを、連れ出してやる。」
 返って来た言葉は、いつも通りの傲慢な物言いだったが、蓮は呆気に取られた。
 頷く事もせず、ただ呆然と嘉島を見上げていると、相手の眉が僅かに顰められる。
「何だおまえ…その顔は。俺の言葉を信じていないのか、」
 不機嫌そうな声音が耳に届くと、はっとし、蓮は慌ててかぶりを振る。
 必死で否定するその様子に、嘉島は愉快げに口端を上げ、笑った。
「信じられないなら、約束してやる。何もかも片付けたら、おまえの好きな場所に連れてってやる、とな。…何処に行くか決めておけよ」
 何処と無く温かみの有る、言葉。
 それは嬉しいが、嘉島が笑ってくれたことが、何よりも嬉しい。
 嘉島の笑い顔を見ていると、徐々に顔が熱くなってゆくのを感じるが、目を離すのさえ勿体無く思える。

 頬を染めながら此方を見上げている蓮の姿に、嘉島は内心、驚く。
 そんな態度を取られたら勘違いしそうだと考え、苦々しげに笑った後、珍しく嘉島の方から顔を背けた。
 蓮に声を掛ける事も無く車を発進させ、なだらかな坂道を上り始める。
 車内が静寂に包まれると、蓮はようやく嘉島から目を逸らし、安堵の息を小さく吐く。


 ………今日の嘉島さんは、何だか様子が違う。
 胸に手を当て、鼓動が速まっていることを実感し、気を紛らわすように窓の外へ目を向けた。
 嘉島の様子が違うのは見せてくれるものと、何か関係が有るのかと思案している間に
 車は何度か狭いカーブを曲がった後、横道を進み、山林の中へ侵入する。
 こんな人気の無い山林で見れる良いものとは一体何なのか、蓮には想像もつかない。

「ついたぞ、降りろ」
 シートベルトを外してやりながら、嘉島は短い言葉を放つ。
 蓮は頷き、少し不安を抱きつつも車から降り、真っ暗な山中へ出た。
 周囲を見回しながら進みだすと木の根に躓いてしまい、身体が前方に倒れそうになるが、不意に伸びて来た腕に支えられる。

「暗いですから、足元、気をつけてください」
 聞き覚えの有る声を耳にして相手が田岡だと判断した蓮は、申し訳無さそうに頷く。
 車から嘉島が降りて来ると、田岡は素早く蓮を離し、深々と頭を下げた。
「組長、お待ちしておりました。奴は、この先です」
 嘉島は鷹揚に頷き、双眸を細め、冷たく笑う。
 待ちに待った瞬間に心が騒ぎ、蓮のことも忘れて進みだした嘉島に、田岡も続く。
 林の中を突き進んでゆく嘉島と田岡の姿に、蓮は焦り、急いで後を追った。
 月明かりのお陰で足元は見えるが、道の無い場所は歩き難い。
 それでも何とか進もうとしていた蓮に気付き、田岡は一度立ち止まると静かな口調で声を掛けた。



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