水槽…13
嘉島は目を見開き、突き刺したままの匕首から手を離した。
冷酷な一面を嘘のように消して足を進め、蓮のもとへ近付く。
「蓮、どうした…おい、」
自分でも驚くほど穏やかな口調で問い、蓮の肩を掴もうと手を伸ばす。が、その手は勢い良く払い落とされた。
嘉島が更に眉を顰め出すと、その場に居た組員達が一瞬、息を呑む。
けれど忌々しそうに舌打ちを零しただけで、嘉島は蓮を殴りつけることもせず、華奢な身体を強引に抱き寄せた。
「嫌だっ、いや…ッ触る、な…っ」
逃げようと暴れだす蓮を強く抱き締め、宥めるように背を撫でてやる。
不機嫌な顔とは裏腹に、その手付きはあまりにも優しい。
「…そいつ、そうか……あの時の」
苦しげな菅田の声が耳に届くが嘉島は振り返らず、蓮を宥める事に集中する。
しかし背後から聞こえる菅田の声は、決して聞き逃すまいと耳を澄ましていた。
「笑えるぜ、嘉島よぉ…まだそんな薄汚れた人形を、手元に置いてやがるのか…」
せせら笑う菅田の言葉を背中に浴びるが、蓮の背を撫でる嘉島の手付きは、相変わらず緩やかだった。
自分の腕の中で暴れる蓮の動きは、徐々に静まっていったが
身体は未だに震えたままで――――少しでも離れれば壊れてしまいそうな気配がする。
ようやく、蓮が完全に大人しくなると、嘉島は徐に振り向いた。
蓮へ向けられていた表情とは打って変わり、険しく、刺すような鋭さを感じる。
獰猛で狂気的な雰囲気を纏う嘉島に、菅田は一瞬だけ怯むが、負けじと虚勢を張り続けた。
「オヤジ、後は俺らにやらしてくださいっ」
菅田の態度に我慢出来ず、それまで黙って見守っていた組員達が業を煮やしたかのように声を荒げた。
嘉島は何も答えずに、蓮を抱き支えるようにして立たせてやる。
無言を了承と取った組員達はそれぞれ、服の上着を脱ぎ捨て、匕首を抜き、木刀を勢い良く振り回し始めた。
「組長、お送り致します」
駆け寄って来た田岡が蓮に一瞬だけ視線を向け、申し出る。
嘉島は冷めた視線を向けただけで何も言わず、蓮を連れて進み出した。
「くそがっ! 嘉島ぁ…てめぇの抱き人形、ズタズタにしとくんだったぜ。くそっ、くそ…! 犯しちまえば、てめぇの惨めな面…見る事が出来たかもしれねぇのによぉッ」
ふらつきながらも何とか歩く蓮を支え、歩き進んでいた嘉島の足が、不意に静止した。
怒号を上げて菅田を甚振っていた男達の手も止まり、蓮を除いた、その場にいる者全ての視線が嘉島へ注がれる。
「俺の惨めな面が見てぇだと? ……笑わせてくれるじゃねぇか」
肩越しに振り向いた嘉島は、ぞっとするような冷笑を浮かべた。
鋭い狂気を漂わせている嘉島の迫力に菅田は身体を震わせ、組員達すら怯えの色を見せる。
「……そのゴミ、さっさと殺して埋めろ」
嘉島は冷淡に吐き捨てただけで、それ以上は構わず、蓮を連れて再び進みだす。
興味が失せたかのように全く振り返らず、先へ進んでゆく嘉島を追って、田岡もその場を立ち去った。
上手く歩けない蓮に焦れ、嘉島は蓮の身体を肩に担ぎ、そのまま車を停めた場所まで戻る。
蓮はあれからずっと黙ったままで何も言わず、嘉島もまた無言だった。
後部座席の扉を開け、車内に蓮を降ろしてから嘉島は一度、外へ出た。
懐から煙草を取り出すと、後を追って来た田岡がすかさず、ジッポライターで火を点ける。
山奥で菅田が嬲り殺されているとは思えないほど、周囲はひどく静まり返っていた。
「田岡、ご苦労だったな」
美味そうに煙を吸い、深々と紫煙を吐き出した後、嘉島は言葉を放つ。
菅田の居所を一刻も早く探し当てようとしたのだろう。田岡の目元には隈が有る上、顔色も少し悪い。
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