水槽…15

 息苦しささえ感じ、震える身体を叱咤しながらも、嘉島の事ばかり考えている蓮の後ろで、音を立てて扉が開いた。
 勢い良く振り返った蓮の目に映ったのは――――田岡の姿だった。

「か…しまさんは…?」
 震えた声で尋ねると、田岡は目を伏せ、沈んだ面持ちを見せる。
 田岡のその表情に、嫌な予感が駆け巡った。
 己の心音がひどく煩く感じ、ごくりと唾を呑む。
「田岡さ…」
 急かすように名を呼ぶと田岡は視線を上げ、此方を真っ直ぐに見据えた。
 そして、躊躇いがちに口を開き………………


 ―――――――亡くなりました。

 静かな物言いで紡がれた言葉が、上手く、呑み込めない。
 掛けられた言葉が脳裏に何度も響き渡っているが、言葉の意味が、どうしても理解出来なかった。
 目を見開き、呆然としている蓮の姿を前にして、田岡は双眸に哀れみの色を浮かべる。
「組長の事…少しでも、好きでしたか?」


 …………少しどころじゃ、無い。
 心底想っていたし、言葉の一つ一つに、一喜一憂したり
 冷たい言葉を掛けられれば痛みを覚えるほど、夢中だった。

 蓮はシャツの胸元を握り締め、嘉島の姿を脳裏に浮かばせる。
 喉の奥が締め付けられるように痛んで、息苦しい。
 声を上手く出せず、時間を掛けて、ようやく頷いて見せる。
 それを目にした田岡は、にわかに眉を顰めた。

「だったら何故、伝えようとしなかったんですか。組長は、あなたの言葉を待っていたんですよ」
 厳しい物言いで責められ、その言葉が尤もだと思った蓮は、何も返せなかった。


 …………僕の言葉を待っていたとは、何だろう。
 ぼんやりとそう考えるが、嘉島の姿ばかりが浮かぶ頭は上手く働かず、答えが見つかる筈も無かった。

「あなたを責めた所で、どうにもなりませんね。何もかもが、遅いんです。
……どれだけ責めても悔やんでも、組長はもう…戻っては来ないんですから…」
 重々しい溜め息を零した田岡が、絶望的な科白を放つ。
 蓮は振り向くのを止め、力無く俯きだした。


 嘘だと、言って欲しい。
 嘉島の笑い顔が脳裏に浮かんで、徐々に消えてゆく。


 ―――――信じられないなら、約束してやる。

 温かみの有る言葉が鮮明に蘇って、喉の奥が、まるで焼けるように痛む。
 もう戻っては来ない嘉島のことを想うと、虚無感さえ覚えた。


「…か、しま…さ…」
 戦慄く唇を開き、蓮は搾り出すように、嘉島の名を呼ぶ。
 その瞳からは静かに、水が零れ落ちた。


 ――――好き。
 言えなかった言葉を、伝えられなかった想いを、たどたどしく紡ぐ。
 蓮の言葉を耳にした田岡は僅かに眉を上げたものの、何も告げずに踵を返し、部屋を出てゆく。
 扉が音を立てて閉まるが、蓮は泣き止まず、想いを紡ぐことも止めようとはしなかった。

 言葉が出せずとも、伝える手段は幾らでも有ったのだから
 もっと前から言っておけば良かったのにと、後悔と自責の念が蓮を激しく苛む。
 何かを言いたい時は、嘉島はいつだって、ちゃんと聞こうとしてくれていた。
 それなのに、立場に縛られて、何も言おうとはしなかった。

 そう思うが、すぐさま蓮は己の考えを否定するように、かぶりを振る。


 …………違う。
 立場に縛られていることを、理由にしていただけだ。
 本当は、拒絶されるのが恐かった。
 好きだと口にして、受け入れて貰えなかったらと思うと、恐くてたまらなかった。
 自分が傷付きたくないばかりに蓋をして、大切な想いを……殺し続けていた。

 蓮は両手で目元を覆い隠し、目の前に広がる闇の中に、嘉島の姿を思い浮かべる。
 けれど、嘉島の声は、どれだけ耳を澄ましても聞こえない。
 耳に聞こえるのは、水槽の酸素供給用のポンプが繰り出すモーター音だけで………

 それは嘉島が居ない今も、普段と何ら変わりなく、鳴り響いていた―――――。



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