碧空の下…4

「いただきます」
 ほぼ同時に、同じ言葉が重なって、それだけで温かい気持ちになる俺は多分、単純だ。

「ね、陽ちゃん…僕、寝惚けて何か言わなかった?」
 暫くしてから、貴之が急に真面目な顔付きになって、尋ねて来た。
 脳裏に、俺が欲しいと告げた言葉が、ぐるぐると回り始める。
「やっぱり何か言ったんだ?」
 ほんの少し貴之から視線を外すと目ざとく悟られ、俺は諦めたように一度溜め息を零した。
「……欲しい、って。」
「えっ?」
 貴之はいきなり声を張り上げ、テーブルの上へ肘を付いて少しだけ身を乗り出して来る。
「な、なに、何て?何て言ったって?」
 彼の声は震えていて、箸を持つ手まで、小刻みに揺れ動いていた。
 ひどく動揺しているなと思案しながらも、一度味噌汁を飲み、焼きアジに箸をつける。
 すると、急かすように名前を呼ばれた。
「だから…欲しいって言ったんだよ。陽ちゃんが欲しい、…って。俺は物じゃないから、あげられないけどな」
 サラダに箸を動かし、ちらりと貴之に視線を向ければ、相手は目を少し見開いたまま硬直して箸が全く進んでいない。
 心なしか、その顔は赤いようにも見える。

「…飯、食わないなら下げるけど?」
「え、あ…たっ、食べる!食べるよ、」
 はっとしたように急いで箸を進める姿は、何だか、幼い子供のようにも見えた。
 思わず視線を注いでいると、顔を上げた貴之と目が合った。
 嬉しそうに、貴之が目を細めて笑う。
「僕、陽一の料理大好きなんだ。美味しいし…すごく、あったかいし」
「…ん。ありがと、」
 にっこりと笑いながら素直な言葉を紡がれて、顔が徐々に熱くなってゆく。
 他人に、そんな風に言われた事なんて無いものだから少し、恥ずかしくもなった。

 …………不思議だ。
 貴之と一緒に居ると、心が安らぐ。
 あったかいのは貴之の方だよって、今度、さり気無く言ってやろう。



 1限目の講義はずっと、いつものように貴之の事を考えていた。
 寝ぼけた貴之があんな風になるのは、他人からの愛情が足りていないからかも知れないと、ぼんやり思案しながら窓の外を眺める。
 本当は今日一日、大学には行かずに貴之の傍に居たかったけれど、朝食を終えた後、弟から電話が掛かって来た。

 ―――――天気が良いから、兄貴、休みそうだなと思って。
 明るい声で、笑いながらそんな言葉を放った後、今日も休んだりしたら親父に告げ口するよとまで言われて、渋々家を出た。
 だけど結局は、貴之の事が気になって講義に集中なんて出来無いし、休んでも休まなくても、俺の無関心さはあまり変わらない。
 そもそも、この大学だって親に決められて入ったようなものだから、他の連中のように目的を持って真面目に受講している訳じゃない。
 俺はきっと、世界には必要の無い人間なんだろうと考えるが
 別にそれを悲しいとも感じない自分が、余計に、欠陥しているように思えてならない。
 あれこれ考えている内に講義が終わり、開いただけで何も書かなかったノートを素早く閉じて片付ける。
 次の講義は3限目からの為、カフェテリアで寛ごうと決め、席から立ち上がって教室を後にした。
 東側の階段を目指して廊下を歩き進んでいたが、不意に足を止め、携帯電話を取り出す。
 貴之の事が頭から離れず、気になって仕方が無かった。

「あーにーき、兄貴ってば!」
 電話を掛けてみようと、折りたたみ式のそれを開いた途端、後ろから明るい声が掛けられた。
 肩越しに振り返れば、俺にそっくりな、双子の弟の姿が目に映る。
 一卵性双生児だから顔のつくりも、髪の色も目の色だって気味が悪いくらい、そっくりだ。
 けれど、見てくれが同じでも性格は全然違うし、雄一の方が俺よりも遙かに明るい上、相手の方が身長も少し高い。

「ねー、次何の授業?確か3限目からだったよね。物理学だっけ?」
「いや…憲法。雄一は?」
「俺はね、今日はもう無し。兄貴んトコの授業受けに行こうかな」
 目の前まで近付いて来た相手は、無邪気な笑顔を浮かべながらそんな科白を口にした。
 彼が言う、無しと云う言葉は講義が無い訳じゃなく、さぼりって意味だ。
 その事をちゃんと知っている俺は半ば呆れて、浅い溜め息を零す。
「雄一…単位大丈夫なのかよ?」
「へーき。ちゃんと計算してるし、余裕。俺、一年の時に授業多く取りすぎたからさー、今年は楽しようと思って」
「ああ、お前、毎日大学行ってたもんな。6限目まで入れてたし」
「まあね。真面目だからねー」
 声を上げて笑う雄一の姿を前にして、本当に真面目な奴は講義をさぼったりしないだろう、と再度呆れた。


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