碧空の下…10
「陽一に殴られていたら、か弱い僕は今頃、床の上で気絶してるよ。」
「か弱いって……俺より力強い癖に、何言ってんだよ」
貴之の言葉が、何だかあまりにも可笑しくて、笑い出した。
声を上げて笑うと頭痛がひどくなり、咄嗟に頭を抑える。
すると、貴之は珈琲の入ったカップを差し出して来た。
「二日酔いの頭痛には珈琲とか、お茶が効くんだって。カフェインにはアルコールの分解を促進させる効果が有るらしいよ」
「へぇ。貴之ってホント、物知りだよな。…ありがと、」
湯気が立っている温かなそれを飲みながら礼の言葉を口にすると、貴之は嬉しそうに微笑んでくれた。
「好きだよ、陽一…」
珈琲を飲み終えた途端、不意に耳に届いた言葉に、心底どきりとした。
貴之が俺を好きだと云う時は、いつも寝ぼけている時だけだったから、本気にする事は無かった。
だけど………貴之は今、ちゃんと起きている。
内心軽く取り乱し、相手から視線を逸らせずにいると、貴之はゆっくりと顔を近付けて来た。
「付き合おうよ」
「……え、」
耳の奥に響いて来る科白に、顔がどんどん熱くなってゆく。
―――――意味が、分からない。
“好き”とか、”付き合おう”とか、明らかに単純な言葉なのに、意味が上手く呑み込めない。
「つ、付き合うって…好きって………え?」
好きって、何だ?
今の貴之は寝ぼけてはいないから……本気の、好きなのか。それとも、さっきのは俺の聞き間違いなのか。
色々な考えが頭の中をぐるぐると駆け巡って、余計に混乱してしまう。
まともに相手が見れずに俯くと、視線は貴之の手首へ向かった。
新しい包帯は、巻かれていない。
貴之は自傷もせずに、俺の帰りを待っていてくれたのだろうかと考えると、胸の奥が熱くなった。
「…陽ちゃんは、僕のこと好きじゃない?」
悲しげな貴之の声が間近で聞こえて、俺は慌てて顔を上げた。
整った顔が視界に入り、距離があまりにも近過ぎる所為で二重に驚いた後、すぐさま口を開く。
「す、好きじゃ…ない………訳、ないだろ。俺、おまえの事、好きだよ。…大好きだ、」
二日酔いで、頭痛はするし胃もむかついているしで、明らかに甘い状況とは呼べない中での、告白。
想いを口にした瞬間、貴之は唐突に俺の身体を抱き締めたものだから、驚いて、空になったカップを落としてしまった。
「大好きだよ、陽一。……僕、生きていたいんだ。陽一と二人で、これからも…」
――――夢みたいだ。
雄一が死んだのに俺が幸せになって良いんだろうかと、少し躊躇ったけれど、俺は貴之のことを幸せにしてやりたい。
………………生きていて良かったと思うぐらい、幸せに、してやりたい。
「貴之…あ、危ねぇよ」
「大丈夫だよ。僕だって、炒飯ぐらいは作れるし。あ、そう云えばこの前、近所の公園でさ…」
「お、おい、よそ見すんなって…うわッ」
余所見をしながら返したフライパンから、作りかけの炒飯が零れ落ちる。
しかもそれが、俺の方にほんの少し飛んで来たものだから、思わず声を上げてしまった。
「陽ちゃん、大丈夫っ?」
「貴之、火は止めろって」
慌てた貴之は、火を止めずに俺のもとへ駆け寄ろうとして来た為、慌てて指摘する。
本当に危なっかしいなと考えつつ深く息を吐き出すと、貴之は端整な顔をくしゃりと歪めた。
「火傷してない?大丈夫?ごめんね、ごめん…」
俺よりも背が高くて格好良いのに、頼りなさ気な表情をして何度も謝罪してくる貴之は
なんだかかわいい犬みたいで、俺は思わず軽く吹き出してしまった。
声を上げて笑い出すと彼は一瞬、きょとんとした顔をした後、すぐに柔らかく微笑んでくれる。
そのまま顔を近付けて、触れるだけの軽いキスをされる。
…………何も感じない訳が無い。
暴れるように心臓はどきどきして、身体は熱くなって、胸の奥が温かくなる。
「陽ちゃん。……陽一、大好きだよ」
「…ん…っ、」
低く甘い声音で囁いて、貴之はもう一度唇を重ねて来た。
少し床に零れてしまった炒飯から意識が反れて、俺は貴之の肩に腕を回す。
「俺も。……すごく、好きだ」
僅かに離れた唇の合間から囁いて、今度は自分から唇を合わせる。
頭の中で雄一の姿がはっきりと、鮮明に浮かんだ。
……ひとは、あまりにも呆気なく死ぬ。
貴之も俺も、いつか唐突に死ぬことだって有るかも知れない。
でも、生きている。
血は通っていて、鼓動は力強く、身体は熱を持ち、しっかりと呼吸をしている。
――――俺の恋人は、自傷癖と自殺願望が、ある。
けれど最近は、自殺未遂も自傷も段々と回数が減っていて
幸せだよ、と。
単純だけれど、俺にとってはあまりにも温かい言葉をくれる。
雲一つ無いほど晴れた、高く澄んだ碧空の下で………
…………俺たちは今日も、一緒に、生きてゆく。
終。
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