黒鐡…08

 でも御島の容姿は、こう云う人を美形と呼ぶのだろうと思える程に魅力的だし、男の僕から見ても顔立ちも整っていて格好いいと思えるのだから……
 母が色目を使ってしまうのは、無理も無いのかも知れない。

 胸中が複雑なのは、明らかに具合が悪そうな僕に言葉を真っ先に掛けるでも無く、男しか見えていない母の姿が、ほんの少し悲しく思えたからだ。
 それは今更だと自分に言い聞かせて、僕は傍の御島へと視線を向ける。
 すると御島はスッと立ち上がって母を見下ろし、軽く会釈しながら柔らかな笑みを浮かべた。
 それは一瞬でも、見惚れてしまいそうな程に、魅力的な笑みで――――
「美咲さん、お元気そうで何よりです。…以前お会いした時より、一層綺麗になりましたね。」
 だけど急に、御島の口調が丁寧なものに変化した事に、僕はあまりの驚きで見惚れる事も出来なかった。
 母は掛けられた言葉に否定していたけれど、顔はひどく喜んでいて、まんざらでも無さそうだ。
 先程の廊下で会った女性と同様に、母はうっすらと頬を紅く染めている。

 丁寧な口調になるのは、この男にとって、母が敬われている存在だからだろうか。
 確かに母は沢山の知り合いが居るし、訪問客も少なくはない。
 でも僕は、御島のような人間は見た事が無く、母とどう云った知り合いなのかと訝るばかりだ。
 何者にも従わなさそうなこの男が、どうしてさっきの女性や母に丁寧な口調で喋ったりするのかと、そればかり気になって僕はつい、まじまじと御島を見てしまう。
 御島は相変わらず、魅力的な……柔らかな笑みを口元に浮かべていた。
 でも良く見るとそれは形だけのようで、切れ長の黒い双眸は、穏やかさが全く無い。
 刺々しいとも感じられる程、目が笑っていないように見えた。
 その事に気付くと次第に、御島の物腰が慇懃無礼なものに思えて来る。
 だのに母は全く気付いていないようで、御島の傍へと更に寄って、会話を続けていた。

「御島はもう、身を固めたの?前は随分、遊んでいたでしょう、」
「いえ…縛られるのは、まだ好きにはなれませんから」
 母の問いに、御島の柔らかな笑みは微妙に、苦々しいものに変わった。
 それでも御島の整った容姿の所為か分からないけれど、惹き付ける事には変わらないように見える。

「相変わらずねぇ……ねぇ、御島、また前のように会えないかしら?」
 絡みつくような声色が耳に入った途端、僕は身体の怠さに耐えながら慌てて上体を起こした。
 母さん、と声を掛けると彼女はようやく僕に視線を向けて、まるで今気付いたと云うように「あら」と声を上げた。
「聞いたわよ。また人に迷惑掛けて……どうしてあんたは何時もそう、弱いのよ。全く、男ならもっとしゃんとして欲しいわ」
「……ごめんなさい」
 御島に話し掛けていた声とは打って変わって、冷たい言葉が投げ付けられた。
 今更ながら、母が心配してくれると少しだけ期待していた僕は、湧き上がる感情をグッと抑えながら謝罪する。
 現実はやっぱり思い通りには行かないみたいで、ひどく惨めだった。
 御島は何も云わず、それ所か母に視線を向けたままで、僕を見ようともしない。
 何か庇うような発言をしてくれるんじゃないかと、僕は御島に対しても浅ましい期待を抱いていた。

 少し優しくされただけで、相手に期待してしまうなんて、馬鹿みたいだ。
 所詮は、他人じゃないか………一体僕は、何を考えているんだろう。
 甘えが有る自分を叱咤して、人の優しさなんて期待しちゃいけない…と、そう考えながら怠くて重い身体を動かして起き上がる。
 視界が少しだけ揺れたけれど、倒れそうな程のものじゃない。
 その事に安堵しながら脱がされたコートを羽織って、解かれたタイを結んで締め直すが、今度は失敗してしまう。
 朝のあれは紛れだったのかと思いながら、ちゃんとした結び目にしようと、苦戦する。

「今日は残念だけど、予定が有るから……今度ゆっくり、話がしたいわ」
 名刺を御島の胸ポケットに入れて、にこやかに微笑む母を見て、美しいと思った。
 あんな風に柔らかく微笑まれたら、大抵の男は応じるに決まっているのだ。
 だけど御島は気おくれした様子も無く、ゆっくりと頷くものだから……彼はとても、女慣れしているのだろうと思える。
 母以上に美しい女性など、見慣れているのでは無いかと考え、何だか大人の世界のようで
 まだ一度も人を好きになった事が無い僕は、いたたまれなくなる。
 なるべく注意しながら出入り口の方へ向かうが、足元はフラついて、危なっかしい。

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