黒鐡…11
「強がる所も、昔と変わらねぇな……」
今にも途切れそうな意識の中で聴こえた、御島の言葉が理解出来ない。
昔、何処かで……この男と、会ったのだろうか。
途切れ途切れに言葉が浮かんで、額に何かが触れた感触をぼんやりと感じながら――――
僕はまるで力尽きたように、深みへ、意識を沈ませた。
頬を撫でられる感触が擽ったくて、少しだけ身を捩ると、普段寝ている自分の布団とは違う感覚に違和感を覚えた。
ゆっくりと瞼を開けると、見慣れない天井が少しぼやけた視界に飛び込んで来て、暫くの間僕はぼんやりとそれを眺める。
「起きたか。鈴…具合はどうだ、」
低い声が聴こえて、視線を横に動かせば、見覚えの有る男が此方を見下ろしていた。
誰だったろう、と上手く働かない頭で考えながら、相手の質問には答えず、ただぼんやりと男を見つめる。
「おまえ、寝起きが悪いのか。……無防備過ぎるな、」
男の目が細められて、ゆっくりとした動きで相手は顔を近付けて来た。
その際、スプリングの軋む音が耳に入って、次第に意識がハッキリとし始める。
完璧に目を覚まそうと数回瞬きを繰り返し、ようやく自分がベッドの上に居る事に気付く。
此処は何処だろうかと考えた矢先、額にひんやりとした何かが触れた。
触れたものが相手の唇だと気付いて、驚きで一気に目が覚めてしまう。
いつの間にか、覆い被さるような形になっていた相手に更に驚き、僕は悲鳴のような声を小さく上げて、逃げるように身体を動かした。
けれど相手はそんな僕を見て喉の奥で笑い、いとも簡単に僕の両手を捕らえると、素早く一纏めにした。
「元気そうで安心したぜ……で、何をそんなに驚いてやがる、」
「く、唇が…」
僕の額に触れた、と云おうとしたけれど、後の言葉はあまりのショックで続かなかった。
だが相手は、僕の云おうとした事を理解したように、ニヤリと口端を吊り上げた。
「初めてか、」
唐突な問いの意味が分からず、眉を寄せて相手を見上げる事しか出来無い。
すると御島は、一纏めにしていた僕の両腕を、いきなりシーツの上へと押さえ付けて来た。
「な…何を…っ」
丁度自分の頭の上で両腕を押さえ付けられてしまい、この行動に何の意味が有るのか分からない僕は、震えた声で問う。
声が震えてしまったのは、御島が恐いからだ。
細められた瞳の奥がギラついていて、獰猛な肉食獣みたいで……恐ろしいからだ。
その上、長身で体躯の良い御島と痩身の僕とでは体格差が有り過ぎて、圧倒的な御島の迫力と威圧感に、どうしようもなく身体は震えた。
「そう怯えるな。別に取って食いやしねぇよ、」
宥めるように穏やかな口調で囁くと、御島は僕の頬に片手を添え、指で目元をゆっくりとなぞって来る。
人に触れられる感触に、僕は思わず短い悲鳴を零してしまった。
顔を思い切り反らすと、その手は再び触れて来る事は無かったけれど、理解の出来無い状況が恐くて、僕は身体を捩って逃げようともがいた。
「鈴、暴れるな。熱がまた上がるだろう、」
御島は僕の両腕を抑えつけたまま、物静かな口調で囁く。
獰猛そうなこの男には、その口調はとても似合っていなくて、半ば呆然となった僕は動きを止めた。
大人しくなった僕をまるで褒めるように、御島は頭を撫でて来て……不思議と、それはひどく心地好かった。
「撫でられた事が無さそうだな…どうだ鈴、気持ち好いか、」
乱暴でも無く、髪を梳くようにして頭を丁寧に撫でられ、御島の意外な程の優しい手付きに僕は素直に頷いてしまう。
視線をたどたどしく彷徨わせると、ベッドの広さが実感出来て、無意識にうっすらと唇を開く。
「すごい…こんな広いベッドの上なんて、乗った事が無い」
思わず素直な感想を漏らしてしまった僕の耳に、御島の低い笑い声が聞こえた。
「ベッドの上で男に組み伏せられている感想が、それか。……全く、おまえは面白いな」
御島の笑い所が分からず、僕は怪訝に思って眉を寄せる。
ベッドの上で男に組み伏せられているからって、何だと云うのだろう。
もし僕が女性ならばそれは危ういかも知れないけれど、生憎僕は男だから別に組み伏せられていようと、そこがベッドの上だろうと、気にする必要も無い。
「で、初めての広いベッドでの寝心地はどうだ、」
相変わらず僕の両腕を押さえつけたままで、御島は少し愉快そうに尋ねて来た。
あの黒々しい雰囲気も、鋭く射抜くような視線も気にならないぐらいに今は薄れていて、御島は機嫌がいいのだろうかと考えながら口を開く。
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