黒鐡…14
もし知っていたとしても、こんなにも一般人離れしている男を忘れる事など、有り得ない筈だ。
御島は人違いをしているのでは無いかと考えながら、口を開く。
「それなら、あの場に放置してくれれば良かったのに…」
思わず零れた自分の言葉に、それはそれで父の家の人に迷惑を掛けたかも知れない、と直ぐに考え直した途端、御島は苛立ったように舌打ちする。
「おまえ…自分の面の良さを知っていて、そんな事を云っているのか、」
いきなり訳の分からない事を云われて、僕はいささか戸惑ってしまう。
顔の良さと僕の発言と、一体何が関係有るんだろうか。
疑問符を浮かべた僕は御島へと視線を戻すが、強い瞳と目が合ってしまい、一瞬だけ怯んだ。
「鈍い奴だ…それで良く、今まで手を出されなかったな。……あの女が傍に居た所為か、」
御島の云うあの女とは、多分母の事だろうと云う事だけは理解出来た。
そう云えば御島は、母の前ではあんなにも慇懃な態度を取っていた癖に、どうして母が居ないと態度が豹変するのだろう。
母とは、どんな知り合いなのだろう。
一人で色々と考えていると、御島は急に、低い笑い声を立てた。
「一人であれこれ考える前によ、分からねぇ事は何でも訊け。甘えて見せろよ、」
……甘える?人に何かを尋ねる事が、甘える事になるのだろうか。
でも僕は、人に甘えたくなど無い。そんな事をすれば、相手に迷惑が掛かるじゃないか。
考えた事を口には出さず、御島をただ見上げていると彼は軽く鼻で笑い、やれやれと呆れたような呟きを漏らした。
「兎に角、何か食え。二日も食ってないんだ…そろそろ何か食わないと、ぶっ倒れるぞ」
「ふ、二日っ?ぼ、僕、二日間も…此処に?」
常に落ち着きを保ち続けようと気を張っていた僕だったが、御島の言葉を耳にすると
流石に慌てふためき、急いで帰らなければと口にして、起き上がろうとした。
だが御島に肩を押され、彼はそれ程力を込めていないようなのに、僕は呆気なくシーツに沈む。
「まあ落ち着け。二日も意識が無くてな…流石に焦った、」
「あの、あの…すみません、帰りますっ」
外泊なんてした事が無いし、一人で外出しても必ず夕方には帰っていた僕が
名前以外全く知らない他人の家で、のうのうと寝ていただなんて最悪だった。
しかも二日も世話になっていたなんて、信じられない。
他人に迷惑を掛けたく無いし、関わりたくも無いと云うのに……。
「だから、落ち着けと云っているだろう。何で分からねぇんだか、この坊やはよ」
「ごめんなさい、迷惑を掛けた事は謝ります。だから、だから…直ぐに帰りますか、ら…っ」
今度は勢い良く起き上がると、途端に視界がぐらりと揺れて、軽い目眩を起こしてしまう。
力が抜け掛けた瞬間、御島は僕の身体を支えるようにして抱き起こし、ゆっくりと優しく、背中を撫でてくれた。
他人がこんなにも近くに居るのに、激しい嫌悪感が湧かず、どうしてか速まる自分の鼓動を感じる。
「いいか鈴。おまえはまだ病み上がりだ…今日一日はじっとしていろ。明日になれば、家まで送ってやる」
「で、でも…でも、母が…」
心配する、ではない。母はきっと、怒るだろう。
彼女の留守中、一人で勝手に外出すると必ず僕を叱った母だ……怒らない訳が無い。
「安心しろ、鈴。あの女には連絡を入れて置いた。……それにな、」
僕の前髪を掻き上げるようにして頭を撫で、御島は口の片端を上げるだけの笑みを浮かべた。
その笑みが何を意味しているのか分からずに、まだ少しくらくらする頭に眉を寄せながら、僕はじっと相手を見つめる。
「具合の悪いままで戻れば、またあの女に迷惑を掛ける事になるだろう、」
そう云われて、僕はその通りだと認めざる負えなかった。
御島は、まるで僕の扱い方を心得ているようだ。
自分が、誰かの思い通りになるのは嫌だ。でも、母に迷惑を掛けるのはもっと嫌だった。
母と云う弱点を悟られた事に、僕は胸に不快感を抱いたけれど、何とかそれを抑え込んだ。
「すみません、ご厄介になります…」
こんなにも多く人と言葉を交わした事が無かった所為か、唇を動かすのが少し気怠げになり始め
弱点を悟られた事もあって沈んだ声でそう返すと、御島は少し驚いたように一瞬だけ眉を上げた。
「…ガキの癖に、礼儀が成っているな」
「ガキって…、」
御島の発言が少し癪に障ったけれど、男にして見れば、成人になっていない僕なんか、まだまだ子供の内なのだろう。
そう思い直して目を伏せ、何も云わずにいると、御島は急に僕の首筋へと顔を押し付けて来た。
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