黒鐡…16
この男の存在を早く忘れる為には、なるべく言葉を交わさず、あっさりとした別れをするに限る。
それに御島自身、理由を口にしないから、僕はからかわれているんだと勝手に決め付けた。
満足そうにニヤついて、愉しそうに目を細めているあの表情を見たら、普通はそう考えてしまうものだろう。
動揺する僕を見て、きっと御島は愉しんでいるに決まっている。
「此処がおまえの家か…」
僕の案内でようやく家に辿り着き、車から降りた御島は物珍しそうに呟く。
僕は先ほど、走行中の車内で御島に深く濃厚なキスをされて、腰に力が入らない状態になっていた。
運転手が居るのに御島は全く気にした素振りも無く、平然と唇を重ねて来たのだ。
その際、運転手が居る事もあってひどく抵抗したけれど、この男が相手ではそれは抵抗とも呼べず、無駄な行動だった。
やはり僕は、この男が理解出来ない。
ただ分かる事と云えば、絶対僕をからかって、そして愉しんでいるんだと云う事だけだ。
後部座席に座り込んだまま動けない僕を見て、御島は喉の奥で笑い、ニヤつきながら僕を見下ろしている。
「どうした、鈴。早く降りて来い…でないと、連れて帰るぞ」
揶揄としか思えない言葉に腹が立ち、少し乱れた制服を整え始める。
御島の家に居た間、彼が用意してくれた服を着ていたけれど、やはり自分の服が一番、制服だけれどしっくり来る。
乱れを直し終えるとシートに手をつき、何とか立ち上がろうとする。
けれど、全然力が入らない。
僕はチラリと、運転席に居る人物に目を遣り、続いて外に居る御島を見た。
普通の人が易々と運転手付きの車になんか乗れないって事ぐらいは、世間知らずな僕でも知っている。
家の広さと云い運転手と云い、父の元に仕えれば高い給料が出るのだろうか。
父の傍に居たから、恐らく父に仕えているのだろうけれど、一体どんな仕事をしているんだろう。
そんな事を考えながら中々車から降りられずにいた僕を、御島は暫く眺めていたけれど
やがて痺れを切らしたのか、顔を覗かせて手を伸ばし、僕の腕を掴むとまるで引き摺りだすように外へと出してくれた。
「だからてめぇは、何度云ったら分かる。素直に甘えろ、」
おまえじゃなく、てめぇと呼ばれた上、忌々しそうに舌打ちまでされ
怒らせてしまったのかと少しばかり焦ったけれど、僕は相手に甘えるなんて事は絶対にしない。
何かをして欲しいとか、ねだったり甘えたりなんて事は、絶対にしないのだ。
車から降ろされた僕を、御島は当然のように肩に担いで、運転手には何も告げずに進み出した。
慌てながら降ろして下さいと叫ぶように告げるが、御島は何も云わない。
やはり怒っているのかと思うと、何故だかとても申し訳ない気になる。
………他人なのに、どうでも良い人なのに。
どうして御島にだけは、いつもの僕で居られないんだろう。
僕にとってはどうでも良い事だから、母以外の人の顔色を伺う事なんて今まで無かったのに。
普段と違う自分に悩んでいると、御島は門口の前の石段を上がり、慣れたように門をくぐって庭を通る。
兼原のお陰で手入れが行き届いている庭を、御島は何処か気に食わなさそうに眺めていた。
僕はそんな御島から庭へと視線を移し、姫沙羅の葉が色づき始めているのを目にして、紅葉するのも直ぐだろうと考えた。
夏に白い花を咲かせる姫紗羅は、秋が深まるにつれて紅葉の色も徐々に変化して
とても綺麗だけれど、葉が落ちた後の方が美しい幹肌をじっくりと眺められるから、好きだ。
姫紗羅から目を逸らし、何も喋らない御島を一瞬だけ見遣るけれど、僕もまた何も喋らない。
これで良い……あまり多く会話をしない方が、印象に残らずに済むのだから。
広い庭を通り抜けてようやく玄関の前へ辿り着き、御島は鍵を出せと口にした。
まさか僕の部屋まで送ってくれるのかと焦った僕は、何度か首を横に振ったが
御島の黒々しく獰猛な雰囲気が強まったのを感じて、焦りながら降ろして下さいと告げた。
すると御島はようやく担ぐのを止め、地面に足が付いた僕は、直ぐにポケットから家の鍵を取り出す。
足元は少しフラついたけれど、立てない程では無い。
その事に安堵し、鍵を開けて扉を引き軽く息を吐いた途端、唐突に御島に抱き寄せられ、驚く間も無く彼は僕を抱いたまま家の中へ入って扉を閉めた。
「な、な…、何ですか…、」
軽く肩を押されて壁に押し付けられ、唐突過ぎる出来事に、思考が上手くついてゆかない。
そう尋ねることしか出来ず、そんな僕を御島は何だか真面目な表情で見据えて来る。
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