黒鐡…27

「ど、どうして…ですか、」
 思わず震えた声で尋ねてしまう僕を、御島は獰猛な獣のように目を細めて見つめて来る。
 瞳の奥はギラついていて、今にも喰らい付きそうな勢いを感じさせた。
「どうして、だと?……何で分らねぇんだか。鈍いにも程が有るだろう、」
 呆れた口調で云って、頬に当てられていた御島の手がゆっくりと動いて、今度は耳朶を撫でて来る。
 くすぐったさに思わず身を捩ると、御島は目を細め、口元に笑みを浮かべた。

「俺はおまえが好きなんだよ、」
 低い声で囁かれて、御島の言葉を深く考える間も無く、唇を重ねられた。
 御島の舌が口腔に滑り込むように侵入して、上顎を舐め上げて来る。
 歯列をなぞられ、そして何度も軽く啄ばむようなキスをしてから、御島はゆっくりと舌を抜いて唇を離した。
「鈴、おまえが何時になったら甘えるようになるのか、楽しみで仕方がねぇよ」
 僕は甘えることなんて嫌いなのに、どうして御島はそこに拘るんだろう。
 息を少し切らして相手を見上げながら、少しだけ眉を寄せて口を開く。
「僕…僕は、甘えることなんて…嫌です」
「そうか。それはどうしてだ、」
 少し控え目に言葉を放つと、御島はすかさず尋ねて来る。
 表情からは笑みが消えていて、少し真剣なその怜悧な表情を見ていると、顔が少しばかり熱くなった。

「だって、甘えたりなんかしたら…迷惑が、掛かるじゃないですか」
 強い眼差しから逃げるように視線を若干逸らしながら答えると、御島は何が可笑しいのか鼻で軽く笑って、僕の頭を優しく撫でて来た。
「安心していい、俺は迷惑とは思わないしな。だから幾らでも甘えていい…だが、相手は俺だけにしろよ」
 何だか無茶苦茶な事を云われているようで、僕は何も返せなくなる。
 ただじっと御島を見据えていると、相手は不意に開いている窓の方へと視線を向けた。
 以前御島が、締め切った室内は湿気も有るし衛生的に良くないと教えてくれたから、最近の僕は窓を少しだけ開けるようになった。
 御島の視線を辿るようにして窓の方へ目を向けると、庭に植えてある錦木が見え、既にそれは紅葉している。
 秋の紅葉が美しいから錦木と云うのだと、僕は以前何処かで聞いた事がある。
「今日はあの男、来たのか、」
 鮮やかに紅く色づいている錦木を眺めながらも先程の御島の言葉ばかり考えていると
 不意に言葉を掛けられ、僕は誰の事かと訝るように視線を戻す。
 けれど御島が知っていて、家に来る男と言えば兼原の事だろうと思い直し、以前も兼原は来るのかと
 訊いて来たしと、予想を確定させるように考えてから僕は頷く。
 すると御島は気を悪くしたように眉を寄せるものだから、少しばかり慌ててしまった。
 何故だか分からないけれど、御島の機嫌を損ねるのが、とてつもなく嫌に思える。

「あ、あの…でも、会っていません。声は聞きましたけど、僕には会わずに、母と出かけてしまいましたから」
「出掛けた?」
「は、はい…旅行へ、」
 そこまで口にして、直ぐにはっとする。
 相手の気を悪くさせた事に焦り、その所為で素直にきちんと事実を告げてしまった自分の異常さに、驚かされる。
 普段の僕であれば、他人と会話を交わす事ですら億劫だし、適当に短い言葉を放って、直ぐに会話を終わらせようと云うのに。
 兼原は今日来たけれど会っては居ない、と……それだけ云えば、十分な筈なのに。
 やっぱり僕は御島の前だと、どうしてか普段の僕を見失ってしまう。
「親が旅行…か。中々、好いシチュエーションだな。笑っちまいそうだ」
 自分の変化に戸惑いを覚えている僕に、御島は良く分からない言葉を放つ。
 何が好いシチュエーションなのかと訝る僕には構わず、御島は僕の首へと顔を埋めて来た。
 唐突な行動に一瞬だけ肩が小さく跳ねるけれど、流石にもう、悲鳴を上げる事はしない。
「ぁ、…っ」
 温かい感触が肌を伝って、背筋がぞくぞくとする。
 首を舐められ、今度は軽く歯を立てられ、身体は更に震えた。
 また何時ものひどい事をされるのかと考えると、どうしてか下腹部が熱くなって
 けれど僕は咳が出そうなのを感じて、片手で口元を覆い、軽く咳き込んでしまう。
 御島が少し離れると僕は直ぐに身体を横に向けて、何度か軽い咳を繰り返していると、ふいに背中をゆっくりと撫でられる。
 不思議と、そうされると咳が少し治まる気がする上に、ひどく気持ちが好い。

「少し休んでいろ。顔色も悪いし…あまり寝ていないだろう、」
 どうして分かったのかと驚く僕を見下ろして、御島は何も云わずに口元を緩めて微笑むだけだ。

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