黒鐡…41
声は少し遠くて、どうやら会話は、少し開いている扉の向こう側で行なわれているようだった。
「俺も直接云いたかったが、生憎仕事でな」
「そうか、そうだったな……聞いたぞ。五日間で八人殺したらしいな。」
聞こえて来た言葉に、耳を疑った。
殺した…と、誰か分からないけれど男の声が、確かにそう言った。
それは御島が……あの優しい御島が、人を殺したと云う事だろうか。
「ああ。くだらねぇ組がどんどん潰れて行く。それに、邪魔な組の名を出してそこがやったと情報を流せば、互いに喰らい合ってくれるしな。ゴミは消えて、そこそこ綺麗な世の中になるぜ」
感情なんて全く無いような、冷たいとしか思えない御島の声に、これは本当に御島の声なのかと僕は疑わずには居られない。
それに、僕の記憶では御島は僕以外の人には敬語を使っていた筈で……今は敬語でも無く、だけど僕に対しての普段の口調ともかけ離れている。
今の御島の声は穏やかさが無く、肌が粟立つ程に恐くて、鋭い。
「六堂嶋家の黒鐡が、まさか気紛れでヤクザの外舎弟とはな……当主が知ったら、どうするんだ」
「知られねぇように手は打つさ。……それにな、飼われるのは楽で良いぜ。あいつら、死体処理が俺よりも得意だからな」
調子に乗っている様子も、楽しそうな様子も口調からは感じられず、感情の籠もっていない御島の声に僕は寝返りを打った。
「でも、仕事を連日でするなんてお前らしくないな。そんなに金が必要だったのか?それとも殺しが好きになったのか、」
「殺る時は名の通りの人間になる事ぐらい、知ってるだろう。好き嫌いなんかねぇよ。…理由は金だ」
「金に困って無い癖に、何を言っているんだ。デカイ買い物でもするつもりか?」
呆れたような声が響いて、それに対して御島は、ああ、と短く答えただけだった。
盗み聞きをするつもりなんて無いのに、僕は耳を澄ましてしまう。
御島が何を喋っているのか知りたくて、会話の内容が気になって仕方が無い。
「……鈴を買おうとした奴から、十倍の値段で俺が買った。」
御島の言葉がひどくはっきりと聞こえて、けれど直ぐにはその言葉を上手く理解出来ず、僕は何度か瞬きを繰り返した。
買った?御島が、僕を?……囲いたい、為にだろうか。母は、幾らで僕を売ったのだろう。
僕の知らない人に売ろうとしたのだろうか、それとも知っている人だろうか。
御島は、その人から幾らで、僕なんかを買ったのだろう。
僕は…自分の知らない間に、いつの間にか母に売られていたのか。
思考を巡らせて、疑問を幾つか頭に浮かばせて、僕は答えを出した。
そうだ。御島はやっぱり僕を囲いたいだけだ、と。
十倍の値段で買うほど、この顔が好きなのだろうか。
そう思うと心が苦しくて、でもどうして苦しくなるのかが、分からない。
御島が僕の顔を好きなだけで……それがどうして、悲しく思えるんだろう。
そこまで考えて、僕は答えの出ない無駄な自問は止めようと、考える度に苦しくなるのだから
放棄して、もういっそ何もかもを諦めてしまおうと、投げ遣りな結論を出した。
目を瞑り、毛布を頭から被って、話している言葉の内容がはっきりと聞こえなくなった事に安堵して、僕は逃避するように眠ろうとした。
―――けれど。
「鈴、起きたのか」
いつの間に近付いていたのか、御島の声が傍らで聞こえた。
だけど僕は頭から被っていた毛布を退かそうとせず、ひどく緊張してしまって何も答えず、息を潜めてじっとする。
「おい鈴、どうした。……具合でも悪いのか、」
心配そうな声が上から聞こえて、優しいとも思えるその声音に、息が詰まりそうになった。
言葉を返さずにいると、御島は苛立ったように舌打ちを零して唐突に、僕が被っていた毛布を強引に剥いで来た。
驚く僕には構わず、御島はあの冷たい手を僕の額に押し当てて、それから直ぐに安堵したような表情を浮かべる。
「熱は無いみたいだな。何処か辛いところは有るか、」
物静かな口調で問われ、僕は少し遅れてからゆっくりとかぶりを振った。
大丈夫ですと短く答えると、御島は優しい手付きで僕の頭を撫でてくれる。
心地好い感触に浸り掛けた僕は御島がまだ上衣を纏わず、半裸のままな事に気付いて、思わず逞しいその体躯を、まじまじと見つめてしまった。
「鈴…覚えているか。おまえ、俺がおまえを囲うのが目的だと言ったな、」
僕の前髪を優しく掻き上げながら御島は唐突に質問を口にして来た。
彼の身体からあの力強い双眸へと視線を移して、その言葉に僕は素直に頷いて見せる。
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