黒鐡…43

 だって僕はこうして―――御島の気紛れだとしても生きているし、今の御島はとても優しいから
 僕を殺そうとしたのだと聞いても、それは過去のことだからと考えて、僕は逃げる気にはなれなかった。
「古谷の近くに居りゃ、自ずとおまえに会えるかと思ったが……肝心のおまえが、俺を忘れてやがる。正直、少し腹が立ったぜ」
 もしかして、僕が父と言葉を交わしている間、責めるような冷たい双眸で睨んでいたのは
 よもやその所為だったのかと考えて、僕は何だか苦笑してしまいそうだった。
 僕みたいな人間を嫌悪しているのだろうと、あの時はずっと思っていたのに……。
 それにあの時は、こんな風に御島と言葉を交わす日が来る事なんて、思っても居なかった。
 伏せていた目を上げて御島へ視線を向けると、彼はどうしてか急に、くくっと低い笑い声を立てた。

「…にしても、成る程。俺がおまえの容姿だけを気に入っているんだと、勘違いしていた訳か」
 話が唐突に元に戻ったけれど、僕は思考の切り替えが直ぐに出来なかった。
 遅れながら御島の云った言葉の意味を理解して、勘違いじゃなくて事実だろうと考える。
 すると御島は僕の考えを見抜いたようにもう一度低く笑って、唐突に僕を抱き寄せて来た。
「それでおまえは傷付いていたのか、」
 御島の問いに、僕は少しだけ目を見開いた。
 僕は……傷付いていたのだろうか。
 そう考えて、でもそんな馬鹿な事は有り得る筈が無いと、直ぐに思いなおした。
 だって僕は、誰かの言動で傷付いたことなんて、無いのだから。

「……ぼ、僕は、傷付いてなんかいません」
「そうか?今にも泣きそうな面をずっとしていたが……だから、あんな事までして聞き出そうとした」
 あんなこと、と云われて僕は先程の行為を思い出して、急激に体温が高まる。
 下肢に熱が溜まるのを感じて、その感覚を誤魔化すように、僕は慌ててかぶりを振った。
「鈴の可愛い言葉まで聞けて、最高だったぜ。……俺の指がいい、ってな」
「ぁ…、」
 耳元でやけに甘い声で囁かれ、身体が震えて、僕は咄嗟に御島の肩を掴んだ。
 とんでも無い言葉を口走った自分を思い出させられて、僕は否定するように目を瞑る。
「…確かに、おまえは美人だ。その顔が気に入って俺のものにしようと思った。始めは、な」
 唐突な御島の言葉に、僕は恐る恐る瞼を開けた。
 始めは、と云う言葉が心に引っ掛かって、相手へ視線を向けた途端、御島はどうしてか苛立ったように舌打ちを零した。

「だがな、おまえの所に通っている内に気付いたが………おまえ、中身が堪らなく可愛い」
 中身……とは、内面のことだろうか。
 御島の言葉を考えて見るけれど、そんな馬鹿なと、直ぐに否定した。
 僕は可愛いなんてものじゃなくて、無愛想で無関心で、子供の時から可愛く無い子だと散々言われて来たし、だから御島が云っている事はおかしい。

「み、御島さんは…嘘を吐いている。僕は、顔しか良い所が無いんだ」
「あのなぁ、鈴。顔だけを気に入った奴なんかに、俺は好きだなんて云わねぇぞ。直ぐに突っ込んで適当に抱いて囲って、飽きたら捨てる。それだけだ」
 御島は僕の額に自分の額を押し付けて来て、苛立ったように言葉を吐いた。
 突っ込んで、とは何かと訝ったけれど、御島は誰かに易々と好きと口にするような人間には見えなくて、僕はその部分には少なからず納得した。
 だけど……。

「いいか鈴、俺はおまえに惚れてんだ。何度でも云うぞ、おまえは中身が可愛すぎる。顔も美人だが、それ以上に内面が堪らねぇ」
「う、嘘だ…、」
 今になって、御島が本気で僕を好いているのだと……好きと云うのは、もっと深い意味の好きだったのだと理解出来た。
 彼が今まで口にしていた、好きと云う言葉の意味がどれだけ深いものだったかなんて、僕は知らなかったし考えもしなかった。
 衝撃的な事実に僕は否定の言葉を放って、嫌がるように身を捩った。
「何が嘘だと思う、」
 けれど御島は僕の腰をしっかりと抱いて、あの強い眼差しで僕をじっと見据えて――――。

 兼原だって云っていたじゃないか。
 脆弱で、人に面倒ばかり掛けて、生きている価値すら無いと。
 僕は自分ですらそう思うし、だから、だから…………。

「俺がおまえを物のように金で買った事を気にしてるのか?その事で傷付けたんなら、謝る。だがな、俺はおまえを離したくねぇんだ」
 嘘だ、嘘だ。
 こんな……御島の言葉に、嬉しくて仕方が無い自分が居るなんて、嘘だ。
 それ所か、心はひどく温かくて心地好くて……この訳の分からない感情は、何なのだろう。
 答えの出ない無駄な自問は止めようと決めた筈なのに、この喜びよりも強い、ひどく心地好い感情が何なのか気になって仕方が無かった。


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