黒鐡…49
彼を困らせてしまったのだろうかと考えたけれど、他の人とはもうしないと言ってくれた言葉が、あまりにも嬉しくて―――――。
「御島さん、ごめんなさい。でも……すごく、嬉しいです」
口元が緩むのを止められずに久し振りに笑って、母の事が一瞬頭に浮かんだけれど、僕は素直に喜んだ。
御島は少し片眉を上げてから、直ぐに目を細めて柔らかく微笑んでくれた。
目を惹かれるぐらいに魅力的なそれに、鼓動は速まって、体温が上がる。
その上、御島が優しい手付きで、前髪を掻き上げるように僕の頭を緩やかに撫でて来たから、鼓動は更に速まった。
「おまえが喜んでくれれば、もうそれで構わねぇよ。だが、俺に此処までさせておいて離れたりしたら……許さねぇからな。俺を裏切るなよ、鈴」
優しさなんて全く無いような、鋭利さを含んだ声を、御島は放って来た。
もう随分感じる事の無かった、身体が震えてしまいそうな程の――――あの獰猛な獣を感じさせるような、黒々しく威圧的な雰囲気まで感じて、身体が硬直した。
僕が一緒に暮らし始めてからの御島は恐怖を感じさせないぐらいに、今まで以上にとても優しかったから、ここ最近はその黒々しい雰囲気もずっと感じなかったのに……。
恐怖で徐々に体温は下がって、裏切るなと云った御島の言葉が、頭の中で何度も響いた。
裏切るだなんて、離れるだなんて、そんな事が出来る訳ないじゃないか。
だって僕は……僕は、御島のことが…………
――――――――――好きだから。
「………え…?」
自分の考えに自分で驚いて、僕は思わず声を上げた。
車を再び走らせ始めた御島は僕の声を耳にして、どうかしたのかと怪訝そうに尋ねて来たけれど、僕は弱々しくかぶりを振る事しか出来なかった。
好き。そうだ、御島のことは好きだ。
でも、さっき思った好きとは、普通の好きじゃない。
衝撃的な自分の想いに緊張して、僕は少しだけ俯いた。
今までずっと、御島に抱いている好きと云うものが、恋愛感情としての好きなのかどうか
どんなに考えても分からなかったのに………こんな、こんなものなのだろうか。
すとんと落ちるように、こんなにあっさりと、唐突に気付けるものなのだろうか。
この感情は、憧憬でも無く、ましてや思慕でも無い。
人に恋心を抱いた経験なんて無くて、それなのに僕は今、御島に対して抱いている感情を断言出来る。
これは………これは間違い無く、恋だ。
今まで答えが見付からなかったのが嘘のように
本当にあっさりと、僕はそう自覚してしまった。
「み、御島さん……あの、初恋って、どんな感じでした?」
「どうしたんだ、急に…」
自覚した感情に戸惑って、僕は相手の方を見ずに少し俯いたまま、震えた声で問いかけた。
御島は少し驚いたような声を出して、だけど少し間を置いた上で、低い笑い声を立てた。
「俺の初恋は、気付いた時にはもう手遅れだったな、」
「て、手遅れって…何か有ったんですか、」
「相手が結婚しちまった。気付いた時には、失恋してたってヤツだ」
そう云って、御島はもう一度笑い声を立てた。
彼が傷付いた顔をしていないか、僕は無性に気になって顔を上げ、視線だけを運転席側へ向けた。
だけど前を向いている御島の、その横顔を見る限り、哀傷の色は伺えない。
「……御島さんでも、失恋したりするんですか」
「鈴、おまえ俺を何だと思っているんだ。俺は万能じゃねぇんだぞ、」
可笑しそうに笑う御島をじっと見据えて、こんなに格好が良くて魅力的な御島でも
恋が成就しない事も有るのだと云うことに、僕は少し驚いた。
「それで、どうして急にそんな事を訊く?」
「と、特に理由は有りません。ただ、気になっただけで…」
御島の問いにとても焦ってしまった僕は、慌ててかぶりを振った。
だけど云い終えた後に、どうして理由を言わなかったのかと、後悔した。
ちゃんと言わなければ……僕が御島を好きなのだと云うことを、ちゃんと言わなければならない。
これはとても大切な感情なのだと云うことが、不思議と理解出来たし
それに何よりも、僕の事を好いてくれている御島にきちんと伝えたかった。
けれど僕は告白をする、と云う現状にひどく緊張して、何と言おうかと考えている内に、どうしたら良いのか分からなくなる。
ただ正直に、好きだと言えばいいのだろうか。
それとも、御島の家に戻った時に、落ち着いてから云うべきだろうか。
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