黒鐡…50

 ……………どうすれば、いいんだろう。
 困り果てて途方に暮れていると、御島は車を何処かの駐車場に停めて、着いたぞと声を掛けてくれた。
 結構遠い所まで来たんだろうなと考えて車から降りて、けれど直ぐに僕は
 何処でどんな言葉を使って、告白をしようかと思い悩んでしまう。

「鈴、さっきから何を考え込んでやがる。何処か具合でも悪いのか、」
「い…いえ、そんな事は……、」
 無い、と云い掛けた僕の額に、御島の手がゆっくりと伸ばされて――――それを目にした瞬間、僕はその手から逃げるように後退った。

「おい、鈴……何だその反応は、」
 憮然とした御島の問いに僕は何も答えられず、何度かかぶりを振る。
 御島に触られるのが恥ずかしく、ひどく緊張して、どきどきする。
 どうしてか妙に御島を意識してしまって、鼓動は速まるし、顔がとても熱い。
「あ、あの…すみません、何でも無いんです」
 変に思われただろうかと不安になりながら言葉を返すと、御島は舌打ちを零して、唐突に僕の腕を掴んで来た。
 力強い手がしっかりと僕の腕を掴んでいて、御島に触れられている感触に、体温が急激に上がってゆくのを感じる。
「は、離して…み、しまさ…手を…」
 緊張し過ぎている所為か、上手く言葉が紡げない。
 振り払おうとしたけれど御島の力は強く、しっかりと腕を掴まれていて離れない。
 少し苛付いたように御島は行くぞと声を掛けて、強引に僕を歩かせた。
 鼓動が速まって御島の顔が見れなくて、俯こうとした僕は、店の門口の横にあった看板を目にして打ち驚いた。
 躊躇いがちに周囲を見回せば、見慣れた建物や風景が映る。
 頭の中に、母の顔が浮かんで消えた。

 此処は、とても良く知っている場所だ。
 家の近くにあるこの料亭を、母はとても好んでいて………幼い頃は僕を何度か連れて行ってくれたりもした。
 家から歩いて、十数分の所にあるこの料亭を―――――。
 呆然としている僕の腕を引きながら、御島は門口をくぐって奥へと続く石畳の道を通り、広い玄関へと足を進めた。
 母の姿を思い浮かべると息苦しささえ覚えて、込み上げて来る焦燥感を掻き消すように
 僕は一度だけ、きつく目を瞑った。



 庭の眺めが良い廊下を通って随分奥の、数寄屋造りの広いお座敷に案内されると、室内に居た一人の男に御島は声を掛けた。
 どうやら壁に掛けられていた掛け軸を眺めていたようで、壁の前に立っていたその人は、ゆっくりと振り向く。
「黒鐡、遅いじゃないか…待っている間、地酒を運ばせたくて仕方が無かった」
 御島の名前を親しそうに口にして、その人は笑った。
 僕はその人の口元しか見ていなかったから、眼は笑っているかどうか分からない。
 ただ声はとても明るかったし、不機嫌そうな雰囲気も感じられないから、待たされたことに憤慨しているようには思えなかった。
「昼から飲む医者が何処にいる。……鈴、座れ」
 御島は素っ気無い口調で相手に言葉を返して、僕を座椅子へと座らせてから自分も隣に胡坐を掻いて座った。
 遅れた事に対して謝罪すらしない御島に、相手は文句を口にする事も無い。
 御島が敬語を用いていないのは珍しいなと、僕はそんな事をぼんやりと考えて、この人とはとても親しい間柄なのかと思ったけれど、御島の口調には温かみも優しさも感じられなかった。
「ふーん、君が黒鐡の……聞いた通り、すごく美人だな。男に見えない、」
 テーブルを挟んだ向かい側の座椅子に腰を降ろしてから、その人は興味深げな口調で言葉を放って来た。

 男に見えない、とは……侮辱しているのだろうか。
 相手の言葉がとても失礼なものに思えて内心腹を立てていると、御島が僕の背を宥めるように撫でてくれた。
 その感触に熱が上がって、御島の手から逃れるように、身を捩る。
「黒鐡、お前いつもそんな風にセクハラしてるのか」
「何処をどう見たらそうなる、」
「相手が嫌がったら、セクハラだろ」
 どうやらこの人の目からは、僕はとても嫌がっているように見えたようで、僕はその事で御島が気を悪くしなかったかと不安になって、隣へ顔を向けた。
 眼に映った御島の横顔はひどく無表情で、普段の、僕の前では優しい筈の彼と比べるとまるで別人のように思える。


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