黒鐡…57

「そんな……甘やかし過ぎです、」
「好きな奴を甘やかして、何が悪い。いいから、云いたい事は幾らでも言え。それが出来なけりゃ、気が済むまで泣けばいい」
 優しい声色で囁かれて、御島の胸に顔を付けさせられる。
 彼の温かさを傍で感じて、もうどうしようも無いぐらいに何かが込み上げて来て、僕はまた涙を零した。

「幸せを……母さんの幸せを、ずっと願って……それなのに僕の所為だって、僕は要らないって……だからもう、どうでも良くなって、自棄になって…」
 抑え切れずに言葉を吐いて、僕は泣きやむ事も出来ずに、目をきつく瞑る。
「…っ…御島さん……僕、僕…ごめんなさい…、怪我を…僕が自棄にならずに、逃げれば……ごめんなさい、」
「鈴、俺はおまえに謝って欲しくて庇った訳じゃねぇんだ。だから謝らなくてもいい、」
 優しい物言いに胸の内が少し軽くなって、御島の言葉がひどく胸に沁みた。
 胸が熱くなって、僕はしゃくり上げながら、御島の服の胸元を強く握った。

 僕は今まで、御島の前でもう何度泣いたのだろう。
 だけど御島は泣く僕を責めなかったし、呆れる事も無くて――――――いつだって御島は、優しくて温かい。

「く、黒鐡さ…僕、黒鐡さんは…温かいと思う……冷たくなんか…っ、鉄なんかじゃ…」
 嗚咽混じりに告げると、御島は僕の言葉を否定せずに、頭を撫でてくれる。
 その感触に涙が次から零れて、止まらない。

 御島はどうしてこんなにも、優しくて温かいんだろう。
 どうして、僕の欲しい言葉をくれて、僕の事を理解してくれるんだろう。
 泣きながら疑問を頭に浮かべた僕は、御島の事を、更に好きになっている自分に気付いた。
 想いと云うものは深くも浅くもなるものなんだと…………
 好きと云うものは、限りが無いものなのかと、ぼんやりと考えながら
 僕は無意識に御島の胸へ、顔を押し付けた。

 僕は、御島の事が―――――
 …………もうどうしようも無いぐらいに、好きで好きで、堪らない。



 沢山泣いた後は目も頭も重くて、何よりも倦怠感が強かった。
 泣き過ぎると瞼が腫れて重くなると聞いた事が有るけれど、此れがそうなのだろうか。
 けれど怠いのとは逆に気分はすっきりしていて、心が大分軽くなった気がする。
「泣く事は心に良いらしいぜ。なあ、気分がすっきりしただろう、おまえはもっと泣いた方がいい」
 背中をゆっくりと撫でられて僕は心地好さに目を閉じ、相手の身体に寄り掛かったまま、掛けられた言葉に少しだけ頷いた。
「……鈴、もしおまえがあの女とどうしても一緒に居たいなら…俺があの女に頭を下げて頼み込んでやってもいいぜ。おまえの為なら、頭ぐらい幾らでも下げてやる」
 優しい声音が耳の奥に響いて、衝撃的なその言葉に思わず顔を上げて、御島を見つめる。
 彼は僕の顔を見るなり、ひどい顔だと笑って、重い瞼に優しく口付けてくれた。
 その感触と、御島は僕の為にそこまでしてくれるのだと云う事が合わさって、胸の内が熱くなる。
「いいえ…もう、良いんです」
 少しだけ目を伏せたけれど、自分の声は思ったよりも明瞭で、その事に安堵しながら言葉を続かせた。
「母は僕が居ない方がいいんだと、十分解りましたから」
 凶器を手にした母の姿を思い浮かべて、僕は少しだけ口元を緩めて笑った。
 すると御島はどうしてか舌打ちを零したけれど、僕の背を撫でてくれる手付きは、相変わらず優しい。
「阿呆、そんな淋しそうに笑うんじゃねぇよ。これでおまえはあの女に縛られずに、自分の幸せを素直に得りゃあ良いだろう」
「自分の、幸せ……、」
 掛けられた言葉を口にしながら、僕は軽く目を見開いた。
 母の事も気にせずに、自分の幸せを得る。
 ……そんな事、考えもしなかった。
 そんな事をしても良いのかと考えて、不意に、幸せと云う感情はどんなものなのかと訝る。

 ――――僕は、その感情が、良く分からない。

「僕は、幸せと云うものが分かりません…」
「自分が抱いた感情にその言葉が当てはまったら、もうそれは幸せって事だろう。喜びだって、幸せに近い感情だと思うぜ、」
 低く通る声を放つと同時に、御島は僕の背から手を離して、今度は僕の頭を緩やかに撫でてくれた。
 彼の手は冷たい筈なのに、撫でられる感触はどうしてか…………ひどく温かくて、心地が好い。


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