黒鐡…58

「御島さん、あの…」
 心地好さに浸りながらも御島の双眸をじっと見据えて、たどたどしく言葉を紡ぐ。
 僕はあんなに泣いた後だと云うのに、顔もひどくなっていると云うのに、頬を緩めて笑った。

 あの時は自棄になっていたから、僕は母の望み通りになってもいいと思っていた。
 でも、あの時母に刺されていたら……この温かさを、もう感じる事なんて出来なかったのかも知れない。
 そう思うと今この場に、御島の傍にいる事が出来て、良かったとすら思える。

「あの、助けてくれて…あ、ありがとう、御座いました」
 だから謝罪じゃなくて礼を口にすると、御島は一瞬だけ目を少し見開き、直ぐに微笑んでくれた。
 魅力的なその笑みに鼓動が速まって、顔が熱くなる。
「鈴…俺が傍に居ない時に、あまり無理はするなよ。おまえは何だか危なっかしくて困る、」
 御島はそう言うと喉奥で笑って、僕の頬に口付けてくれた。
 その行為に熱が上がって、少し躊躇った後に、僕は顔をずらして御島の唇にキスをした。
 軽く触れるだけだったけれど、自分からしたと云う事がとても恥ずかしくて、僕は直ぐに顔を背けてしまう。
「……鈴、何だ今のは」
 耳に入った声があまりにも低くて、御島の気分を害してしまったのかと焦った僕は、背けた顔を慌てて戻そうとした。
 けれどそれよりも先に御島の手が僕の顎を掴んで来て、強引に彼の方に顔を向けさせられ、細められた双眸と目が合う。
「おまえは……俺を生殺しにしたいのか、」
 御島は大きな舌打ちを零してから顔を近づけ、唇を重ねて来た。
 何が生殺しなのか分からなかったけれど、重なる感触が心地好くて
 僕は御島の服の胸元をきつく握って、重い瞼を緩やかに閉じた。



 御島が入院している間は僕もこの広い個室に泊まる事になり、あの沢山泣いた日の夜は、御島の隣でぐっすりと眠った。
 入院初日だったからそれは許されたのかと思ったけれど、退院するまで泊り込む事は
 可能だと逸深が云ってくれて、僕はずっと御島の傍に居る事となった。
 ベッドも普通のものより広かったから、御島の隣で眠れる事も出来て僕は嬉しかったのだけれど
 二日目の夜、御島は病院だと云うのにいつもの―――――あの淫らなことをしようとして来た。
 傷が開いてしまったらどうするんだと必死で逃げて、僕がひどく暴れた所為で御島は傷が痛み出したらしく、何とか行為を阻止する事は出来た。
 そのままベッドから離れて、僕はその日、ソファーの上で眠ったのだ。
 昨夜もソファーで、あまり眠れなかったけれど夜を過ごして
 御島は舌打ちを零したが、僕を無理にベッドへ引きずり込むような真似はしなかった。
「おい、鈴…こっちに来い、」
「……嫌です、」
 今夜もソファーの上で寝るつもりの僕は、唇を尖らせながら拒否の言葉を返した。
「今日も、此処で寝ます。明後日の午後には退院なんですから、安静にしてください」
 ベッドの上の御島に向けて不機嫌な口調で声を掛けて、ソファーの上に横になった。
 御島の方へ背を向けて寝る形で、逸深から使っていいと渡された毛布を肩まで掛けて、目を瞑る。

 ………僕はもう、母の事を気にする事は無くなった。
 だからいつでも御島に、告白をする事が出来る。
 だけど流石に病院では言いたく無いし、初めて抱いたこの感情を、更に深くなったこの想いを
 僕は大切にしたいから、場所を選ばずに焦ったように口にしたくは無い。
 御島の怪我がちゃんと治って、十分落ち着いてから言いたい。


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