黒鐡…68
「ねぇ、オマエ、黒鐡の事を愛しているのか?」
直球的で冷ややかな問いに、僕は少しだけ身体を震わせた。
すると相手は笑い声を立てて、響きの良い声で言葉を続かせる。
「俺の勘違いなら、直ぐにでも帰してやれるんだけれど……………ねぇ、違うって云えよ」
最後の方はとても鋭いものに変わって、強い悪意が感じられた。
周囲の人達の視線も痛いぐらいに突き刺さって、否定しろと告げている。
違うと口にして、もう御島とは関わらないようにしろと、告げている。
息が詰まりそうな程の悪意が、この空間に大きく渦巻いて、僕は唇を強く噛み締めた。
僕は―――――とても恐い。
幼い頃、人は僕にそれを向けていたから………僕は、僕に向けられる悪意が、恐くて堪らない。
吐き気が込み上げて来て、身体はひどく緊張して、僕は何も答えられずに居た。
「そうか、俺の勘違いか。そうだよな、黒鐡は人殺しだから、あんな人殺しを愛せる奴なんて居ないもんな……俺だけが、あの血で汚れた醜い獣を愛してやれるんだ」
「御島さんは、醜くなんか…、」
耳に入った言葉に僕は咄嗟に顔を上げて、ひどく弱々しい声でだけれど、言葉を返した。
「ああ、そうだね、醜い獣じゃなかった。あれは鉄だ。生きてもいない、冷たい鉄の塊だ……俺だけの、」
滑稽、とでも云うように、相手は高らかに笑い出した。
顔を上げて、僕は内心、信じられない想いで相手を眺める。
――――――生きてもいない、冷たい鉄の塊。
その言葉が、何よりも痛々しく感じて、ショックを受けた。
「あれを愛せる奴なんて居ないよ。愛せる奴は俺だけだ。俺の物だから、俺が愛す」
「僕、僕は…黒鐡さんが…………好き、です」
震えた声で告げると、相手の笑い声がぴたりと止まって、周囲の人間が再びざわめき始めた。
愛してなんか居ないと、本当は、口にするべきだったのだろう。
僕はきっと選択を誤ってしまったのだろうけれど、大切で深い感情を、もう偽りたく無かった。
想いを初めて口にするこの瞬間が、本人を前にしてでは無い事が少しだけ哀しかったけれど、僕はすみませんと告げて畳の上へと手を付き、頭を下げた。
「好き、だと?ナキリ、こいつの言葉…今の、聞いたか?」
「はい。…残念ですね。私は、彼は物分りが良い方だと思っていたのですが、」
重々しく冷ややかな声が耳に入って、頭を下げていた僕は、震えてしまいそうな自分を叱咤して唇を噛み締めた。
―――――今まで色んな手を使って消して行った。……殺され掛けた人も、居たよ。
―――――その綺麗な顔に熱湯を浴びせて、人目に触れる事の出来無い面にしてやる事なんて、簡単だからな。
頭の中で、逸深と当主の言葉が響いて、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。
口にした言葉に、後悔は、無い。
ただ少しだけ我儘を云えるのなら………御島に、この感情を伝えたかった。
「当主様、そいつの顔を前の女みたいに、醜くて見れない顔にしてやったらどうです?」
声が上がって賛成の声が幾つか響いて、違う提案を上げる人の声も響いて、異常な雰囲気に息苦しささえ感じた。
けれど直ぐに、当主が黙れと命じて、室内は嘘みたいに一気に静まり返る。
「……彼には二度と、黒鐡様に触れられないようにして差し上げましょう。」
あの、重々しく冷ややかな声を放った男の声が、再び耳に入って来た。
心を切り裂くような、鋭い悪意を含んだ低い声が、ひどく恐ろしい。
けれど、逃げたくは無い。
以前の僕なら何もかも諦めて、また一人に戻ろうとしただろう。
あがいてもどうにもならないなら、最初から諦めた方がずっと楽だと分かっていたから、何もかもを諦めて来た。
でも、こればかりは、御島のことだけは――――どうしても、諦めたくなんか無い。
恐怖に負けそうな自分を叱咤して、僕はゆっくりと顔を上げた。
僕は今初めて、生まれて初めて、何よりも大きな我儘を云う。
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