黒鐡…72

 持っていた凶器を手慣れた様子でベルトに差したその姿に、僕を殺すのは本気じゃないのかと
 淡い期待を抱いたけれど、相手はそんな僕の考えを見破ったように、小馬鹿にするように軽く嗤った。
 目の前まで近付いて来た御島は、地面の上へ膝を付いて手を伸ばし、僕の首に指を回して来た。
 その行為に僕は思わずひっと悲鳴を零して、身を捩ろうとしたのに、身体は凍りついたように動かない。

「少し力を入れれば、簡単に折れちまいそうだな」
 そう言って笑った御島の雰囲気が、禍々しさを感じさせるぐらいに恐ろしく
 圧倒的な威圧感を感じさせる程に重々しくて………身体が、みっとも無いぐらいに震え出した。

 信じたくなかった。
 御島は優しくて温かくて、それなのに今、僕を殺そうとしているだなんて、信じたくなかった。
 御島は、僕を殺すことなど容易いと告げているのだと云うことが理解出来て、胸が、ひどく痛い。

「…で?どう違う、」
 耳の奥にしっかりと響くような、明瞭な発音で問われて、僕は唇を噛み締めた。
 雨に濡れた服が肌に纏わりついて、その感覚が僕の心を余計に重くする。
「今は……、」
 震えた声を響かせて、僕は大切なあの感情を――――――深い想いを、口にしようとした。
 最愛の人に殺されそうだと云うのに、僕は、想いを告げようとしている。
 僕は、もうどうしようも無いぐらいに………殺されるのだと分かっていても、この男が好きで好きで仕方ない。
「黒鐡さんが……す、好き…好きです、」
 精一杯想いを口にしたけれど、御島は眉一つ動かさずに僕を見下ろしていて、それがひどく辛かった。
 僕の想いなど気にならないと云うように、御島は嗤って、回した手にほんの少しだけ力を込めた。

 やっと想いを相手に告げる事が出来たのに、僕はその相手に殺される。
 なんて悲しい、告白なんだろう。

「…ぼ…僕、黒鐡さんの事……変になってしまいそうな程に、好き…」
 想いを一度口にすると余計に止まらなくなって、僕は泣きながら、言葉を続かせた。
 こんな風に、変になってしまいそうな程に、誰かを想った事なんて無い。
 好きと云うものは限りが無く、深くも浅くもなるんだと云う事を、僕は知った。
 大切なものを、御島は沢山教えてくれて………だから益々、僕は彼の事を好きになった。
 初めて優しくされたから好きになったとか、そんな単純なものじゃなくて―――――。

「それで……お前はどうしたい、」
 御島が低い声色で囁くように尋ねて、僕は目を見開いた。

 僕は何かをして欲しいとか、ねだったり甘えたりなんて事は、絶対にしない。
 それなのに、こんな状況で、どうしたいと御島は尋ねて来た。
 望みを初めて口にしたとしても、それが叶わない事なんて、明白だと云うのに。
 口にしても叶わないなら、虚しいだけじゃないかと考えて、僕はかぶりを振った。
「そうか、なら…思い残す事はもう、ねぇって事だよな」
「ぁ…っ」
 僕の首を本当に、御島はまるでいたぶるように、徐々に力を込めて絞め始めた。
 いたぶるように絞めて来る冷酷さに、僕は本当に殺されるんだと理解出来て、出来たと同時に、激しい焦燥感に駆られた。
「くろが、ね…さんと……、」
 云わなくても良い事を―――叶わないから、口にしても虚しいだけだと云う事を分かっている筈なのに
 僕は震える唇を開いて、御島の双眸を見つめた。

 僕の望みは、御島や当主、六堂嶋の人間にしてみれば、ただの我儘だ。
 それも十分解っているのに、望みが叶う事は絶対に無いと解り切っている筈なのに
 口にしようとしている僕は、本当に滑稽で、そしてひどく愚かしい。

 だけど、言いたい。口にしたい。
 望みを……僕の、心の底から願うことを。

「黒鐡さん…と……い、一緒…に……」

 ――――――――――生きて、ゆきたい。

 紡いだだけで、胸が詰まる程に、切ない願い。
 これは、一生に一度の、願いだ。
 この人は、僕が初めて……………心の底から必要だと願う、大切な存在だ。
 望みを口にしても、首に回された指に力が更に込められたから
 本当にこれで終わりなんだと考えて僕は涙が溢れる目を、きつく瞑った。


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