黒鐡…74

 鉄が入っている靴なんかで蹴られたら、ただでは済まないだろうと思案して、血の気が引く。
 大人の男を、それが例え体格が良い相手だとしても簡単に暴力で平伏せる事が出来る御島が、恐く思えた。
「鈴、いきなり飛び出すんじゃねぇよ…危ないだろう、」
 苛立ったように舌打ちを零した御島は、暴力的な筈なのに、優しい口調で僕に言葉を掛けてくれる。
 彼は口元に柔らかい笑みまで浮かべたけれど、銃を無造作にベルトから抜いて構え―――――。
 腕を押さえながらも起き上がろうとした男の肩を、躊躇い無く撃ち抜いた。
「ナキリッ」
 悲痛な声が響いて、自分も怪我をしている事なんて忘れているかのように、当主が縁側から身を乗り出す。
 地面に倒れた男の腹部へ、御島は一度蹴りを叩き込むと、打ち抜いた肩を残酷にも踏み付けた。
 立ち上がらせまいとするように押さえ付けるその姿は、相手を人として扱っていないようにも見える。
 銃口をゆっくりと相手に向ける御島に、その光景に、足が竦みそうになったけれど
 彼が銃を右手で構えている事に遅れながら気付いて、はっとした。
「黒鐡さ…傷が…、」
「傷が開こうが痛もうが的は外さねぇから、安心して良いぜ」
 くくっと低い声で笑った御島に、普段の優しさなんてものは無くて
 まるで獲物を咬み殺そうとしている、獰猛な獣のように思えて慄然とした。

「黒鐡っ、やめろ…ナキリは俺の奴隷だぞッ」
 悲痛な声を上げながら、此方へと急いで駆けて来る当主の姿が、目に映る。
 今までの彼の態度とは打って変わって、焦燥の色を浮かべているのは………
 御島が、本当に人を殺そうとしているのだと云う事を、分かっているからだろうか。

「……たかが奴隷一人、別に死んでも構わないでしょう。こんな人間はさっさと壊して、新しい奴隷を飼えばいい」
 冷酷無情と呼んでもいいぐらいに、冷淡な言葉を放った彼の目は――――ひどく、冷たい目だった。
 御島の双眸に、放った声の冷たさに、恐怖で身体が凍り付く。
 息が詰まる程の圧倒的な威圧感が、何よりも冷たいあの目が、僕に向けられている訳でも無いのに恐くて堪らない。
「やめろよ黒鐡…俺の云う事は、何でも聞いて来たじゃないか…それなのに、どうして俺を裏切るんだよ、何でそんなガキなんだよっ」
 駆けて来た当主は、少し距離を置いた先で足を止めて、悲痛な声を上げた。

「……当主様、覚えておいた方がいい。奪えば、自分も奪われると云う事を」
 御島は口端だけを吊り上げて、梛鑽の肩をより強く踏み付け、引き金に指を掛ける。
 呻く男の服には、恐いぐらいに血が滲み広がり、当主がやめろと叫んで―――――。
「黒鐡さん…、」
 御島は躊躇う素振りも見せず、引き金を引こうとしたものだから、僕は咄嗟に彼を呼んだ。
 自分の声はひどく小さくて、雨の音で聞こえないかも知れないと思ったのに
 御島は指の動きを止めて僕に視線だけを向ける。
「どうした、鈴」
 掛けられた声音は場にそぐわない程に優しく、御島の表情も少し穏やかなものになっていた。
 だけど鋭利な双眸の、身も凍る程の冷たさは薄れる事も消える事も無くて、その事がひどく悲しく感じる。
「や…やめて、ください。そんな黒鐡さんは……嫌だ…」
 唇から搾り出すような声を零すと、御島は気を悪くしたのか、眉を顰めた。

 僕は他人に対して優しさも、思いやりすら持っていない。
 他人なんてどうでもいいし、梛鑽が殺されようが傷付こうが、御島さえ無事ならそれで良い。
 そう思っていたけれど、人を殺そうとしている御島の姿を目の前にしてしまったら、止めずには居られなかった。
 もしも御島が、僕の前で人を殺してしまったりなんかしたら………
 御島の優しさが――――今まで感じていた温かさが、僕の中から消えてしまいそうで、恐い。

「……おまえの願いや望みは叶えてやると決めているんだ。癪に障るが、やめてやるよ」
 男の肩を相変わらず踏み押さえたまま、御島は舌打ち混じりに返して、引き金から指を離してくれた。
 雨に長い間打たれた身体は、とても冷えていたけれど
 御島のその言葉に、胸は熱くなった。

「当主様、鈴のお陰でこの玩具を壊さずに居てやるんです。鈴に感謝して下さい」
「黙れ黒鐡っ、足を…俺の奴隷から早く足を退けろっ」
 睨み付けながら当主が鋭い声を上げると、御島は薄く笑って、素直に足を退けた。
 当主はすぐさま、倒れている男の方へと駆け出す。
 彼が御島の真横を通り過ぎようとしたその刹那、御島は唐突に
 銃を持っている方の手を振り下ろし、当主の後頭部を黒い銃の柄で殴打した。


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