黒鐡......10



 その行為に激しく抵抗はしないけれど、彼の舌が滑り込んで来ると、舌は逃げるように動いてしまう。
 だが逃げようと動いていた舌はあっさりと絡め取られ、じっくりと口腔を探られる。
「ん…、んぅ…っ」
 御島のキスは優しくて巧みで、いつだって僕は、すぐに何も考えられなくなってしまう。
 顎を固定され、咬み合わせを深くされて、堪らなく背筋がぞくぞくと震えた。
 身体の力が次第に抜け、御島の肩に縋るように手を置くと彼は一度笑って、片手で僕のシャツの釦を外し始めた。
 どうして釦を外されるのかと慌てた僕は、肌を滑るように胸元へと向かう御島の手を、必死で掴む。
 けれどその手は逆に包み込むように握られ、舌をきつく吸い上げられ、視界が霞んだ。

「んん…っ!」
 そして本当に急に御島の指が僕の乳頭を摘んで、指先で捏ね回された瞬間、ビリッと焼けるような疼痛が走った。
 まさかそんな所を触られて、そんな感覚が得られるなんて思わなかった僕は、身体を震わせながらも驚きを隠せずにいた。
 未知の感覚に思わず身体を捩り、御島の胸を押し戻そうと力を込めるが、ビクともしない。
「ふ…っ…ぅん…ッ」
 彼の指先が乳頭を押し潰し、慣れたように転がして来る度に、
 我慢出来無いような疼痛が身体の奥から沸き起こり、鼻に掛かったような声が漏れる。
 息が上手くつけず、それでも何とか逃げようともがくと、ようやく御島は舌を抜き去り、唾液に濡れた唇を解放してくれた。
「鈴、大丈夫だ。痛い事はしないから、安心しろ」
 いつまで経っても怯え、逃げようとする僕に御島は優しい声で云う。
 けれど声を掛けながら僕のシャツの釦を全て外して前を開くと、露わになった胸元に、彼は顔を近付けた。
「やッ…、」
 唐突に乳頭を口に含まれ、逃げる間も無く吸われ、先端をやんわりと咬まれる。
 身体中を電流が突き抜けるような、痛みとも呼べる痺れに、身体が強張った。
 ざらつく舌の感触が、獣のようにじっくりと其処を舐め上げ、舌先で突付かれる。

「く…ぅ、ん…っ」
 目の眩むような感覚に襲われ、抵抗も忘れて、無意識に御島へとしがみついてしまう。
「どうだ鈴、気持ち好いか」
 まるで犬みたいにそこを執拗に舐められ、チュッと音を立てて吸われる。
 けれど御島の問いに、僕は首を縦にも横にも振ろうとはしなかった。
 御島の云う通り、本当に気持ち好いけれど……男のくせに、こんな所で感じるような自分が信じられないし、認めたくも無い。
「よ、好くなんか…っ」
 震えた声で否定すると御島は喉奥で笑い、舌先を震わせるようにして乳頭を嬲る。
 体温は更に上がって、震える身体は仰け反り、息が熱く弾んだ。
 逃げなければいけないと思うのに、自分のものでは無いみたいに、身体に力が入らない。
 御島はそんな僕を見ながら僕の股間部へと指を滑らせ、ジッパーを下ろし始めた。
「な、何を…い、いやだっ」
 流石にそれにはぎょっとしてしまい、必死で暴れる。
 だけど僕がどれだけ抵抗しても御島には全然大した事は無いらしく、
 あっさりと腰を押さえ付けられ、下着ごとズボンを脱がされてしまった。
「好い思いをさせてやるから、大人しくしとけ」
「いやだっ、いらないっ」
 もがいて逃げようとすると、更に強く腰を押さえられる。
 何をされるのか分からず、恐怖で身体を強張らせる僕を一瞥して御島は軽く笑い、
 一度僕を抱き起こしてから身を屈め信じられないことに僕の股間部へと顔を寄せて来た。
「なに、何を…、」
「いい色だな。自分で刺激した事は、あんまり無いのか」
 掛けられた質問の意味は、何となく分かる。
 一人でした事は何回か有るけれど、その度に嫌悪感が強まって、
 高校に入ってからはもうずっと、そこを自分で刺激する事はしなくなった。
 御島は食い入るようにそこを見つめて、そして躊躇った様子も無く、そこを咥え込んで来た。

「ひっ、い…嫌、…やめっ、」
 どうしてこんな事が出来るのかと、そこは汚いじゃないかと、
 そう云おうとしたのに強い刺激に首を振ることしか出来なかった。
 窪みを舌先で突付かれ、耐えるように目を瞑るが、御島はやめてくれる気配なんて全く見せない。
「嫌…やっ、止め…て、…っぁ、く…ッ」
 人にそんな所を咥え込まれるなんて、思いも寄らなかった僕は、逃げ腰になってしまう。
 けれど御島は力強い手でしっかりと腰を押さえて、僕自身をきつく吸い上げて来た。
 相手の髪を引っ張り、どうにかその信じられない行為を止めさせようと試みるけれど、
 力の入らない体ではそれは全く意味の無い行動だった。
 嫌だ嫌だと首を振っても御島は止めてなんかくれず、先端から溢れる蜜を舐め、裏筋まで舐め上げて来る。
 次々と的確に刺激を与えられて執拗に愛撫され、そしていきなり奥まで呑み込まれ……
 きつく引き抜かれた瞬間、目の前が真っ白になった。

 僕は御島の口内へと欲を放ってしまい、身体を小刻みに震わせる。
 御島は喉を鳴らしたから、僕の出したものを飲んだのだと、強い悦楽感に浸りながらも何とか理解出来た。
「……濃いな。溜めていたのか、」
 どうしてあんなものを飲めるんだと考えながら、息を切らして脱力していると、御島が口を離して
 笑いながら言ってそれから再び、僕自身をきつく吸い上げて来た。
「ゃ、ぁっああ―…っ」
 残滴すら残さずに吸い上げられると、掠れた甘ったるいような声が上がって、身体が震える。
 御島がゆっくりと僕自身を解放すると、まるで糸が切れたように、僕は意識を失ってしまった。








 目を覚ますと僕は布団の上で寝ていて御島は傍に居たけれど、僕は彼を見ないように毛布を頭から被り、拒絶した。
 あんな信じられないような、ひどい事をして来た御島が、嫌に思えたのだ。
 御島は、御島だけは絶対に、僕にはひどい事はしないと思っていたのに。
 まるで裏切られた気になって、御島のことが嫌いになりそうだった。
 いや、大嫌いだ。御島なんて、あんなひどい事をするこの男なんて、大嫌いだ。
 毛布を被ったまま必死で相手を拒絶していると、御島は無理に毛布を剥ぎ取ろうともせず、
 何だか愉しそうに低い笑い声を漏らすだけだった。
 あんな事をしたと云うのに、御島は謝罪を一言も口にはしない。

「あれだけで気絶するとはな、少し焦ったぜ。飯を持って来てやるから、少し待っていろ」
 そう云い残すと、御島はあっさりと部屋から出て行ってしまった。
 足音が遠ざかってゆくのを耳にすると、直ぐに被っていた毛布を退ける。
 閉ざされた襖を眺めながら、御島がこの家から出て行ったら、もう二度と彼には会わないようにしようと、僕は心に決めた。
 明日からはきちんと鍵を掛けて、もう決して御島には会わないようにしよう。

 二度と、あんなひどい事はされたく無かった。
 御島の事は、今は本当に大嫌いだ。
 そう思った途端、だったらその前はどうだったのかと思う。
 人を嫌いだとか、好きだとか思った事の無い僕に、今の自分の考えはあまりにも強烈だった。

 あんな事をする前の御島は、嫌いじゃなかった。
 優しくされたことの無い僕に、御島はとても優しくしてくれたし、母がしてくれなかった事をたくさんしてくれた。
 だから僕は、御島が……そうだ、好きだったのだ。
 けれど恋愛感情の好きとかじゃなく、きっとこれは普通の好きだと思う。
 愛だとか恋とか、そんなものを同性に抱いてしまったら、僕はそれこそ異常だ。

 でも、それならどうして僕は御島に軽蔑されたくないとか、嫌われたくないとか思っていたんだろう。
 それに、御島にあんなひどい事をされた時、もっと激しく抵抗しなかったのも不思議だ。
 普通に好きな相手だったとしても、あんな事をされれば噛み付いたり引っ掻いたりして、必死で逃げる筈なのに。
 だとしたら、僕の御島に対する好きと云う感情は……普通の、好きでは無いのだろうか。
 激しい抵抗もせず、御島の好きなようにさせてしまった自分が、良く分からない。
 あれこれと考えていると、余計に自分が分からなくなる。

 結局答えは出ず、優しい御島の事を思い出していると、
 彼を嫌いだと思っていた感情ですら揺らいでしまいそうで、驚いた。
 近付いて来る荒々しい足音を耳にして、ただ戸惑う事しか出来無い僕は
 彼に対する嫌悪感が既に大分薄れている事に、更に戸惑っていた。









 鍵を掛けて御島がもう入って来れないようにしようと、もう二度と会わないようにしようと
 僕は確かにそう決めていた筈なのに、それがどうしてか出来なかった。
 あれからやっぱり御島は毎日やって来て、僕に優しくしてくれて………あのひどい事だって、して来る。
 優しい御島が嫌いになれなくて、自分の意思の弱さにとてつもなく腹が立つし
 あのひどい事をされてもいつも激しく抵抗しない自分が嫌になる。
 もしかしたら僕は、あの強烈な悦楽に、依存してしまっているのでは無いかとすら思えた。
 大体、御島はどうしてあんな事をしてくるのだろう。ただからかっているだけなのだろうか。
 疑問に思っても決して本人に問えない僕は、一人で悩むしか出来無い。
 でも僕は人生経験も浅く、こんな状況を回避する方法も、自分の異常事態をどうすれば治せるのかすら、分からない。

 御島はもしかしたら、僕を傷付けたいのだろうか。
 僕を…………嫌い、なのだろうか。
 そう考えると何だか胸が苦しくて、相手の気持ちが分からない自分が出来損ないのようにも思える。
 人間の心が、気持ちが、分からない。他の人は、他人の気持ちを汲み取ったり出来るのだろうか。
 自問するだけで、いつまで経っても答えが出ずに苛立っていると、此方へ近付いて来る足音が廊下側から聞こえ始める。
 存在を強調するかのような荒々しい音を立てて近付く御島とは違って、音は少し控え目だが、煩い。
 部屋の前で足音が止まったと同時に、乱暴に襖が開かれたけれど、母の顔は普段と違ってとても輝いて見えた。

「リン、暫くの間兼原と出掛けて来るから、大人しくしていなさい」
 大人しくしていなさいと云うのは、本当に大人しくしていると云う事だ。
 家から一歩も外には出ず、誰が来ても応対しない事だ。
 家の電話が鳴り響いたとしても、取る事は許されないのだろう。
 何も云わずに頷く僕を、母は嬉しそうに見下ろしている。
 その顔はもう化粧をしていて、益々美人に見えた。
 気を付けて行くようにと告げると、彼女はいつもと違ってにこやかに微笑み、ありがとう、と上機嫌の声で珍しく礼を口にした。

 余程、兼原と旅行に行ける事が、嬉しいのだろう。
 幸せそうな母を見て、良かったとホッとする。
 兼原は本当に、母を大事にしてくれているし、幸せを与えてくれているみたいだ。
 それから数分も経たずに母は部屋から出て行き、乱暴に襖は閉められる。
 部屋に残された僕は、彼女が僕に対して笑ってくれた事の嬉しさに、多少浸ってしまう。
 すると廊下側から兼原らしき男の声が響き、僕は閉められた襖を思わず見つめた。
「鈴くんは、どうでしたか?」
「体調が思わしくないから、行けないみたい。残念だけれど、二人で行きましょう」
 残念そうな声を造っている母とは逆に、兼原は心配そうに僕を気に掛けてくれている。
 僕は襖から目を逸らすと部屋の隅へ移動し、壁に寄りかかって座り込んだ。
 込み上げる感情を抑えるように小さな溜め息を漏らし、二人が去ってゆく足音に耳をすます。
 足音が聞こえ無くなると、部屋はいつものように静まり返り
 僕もまた、いつものように棚から取り出した本を開いて、文字へと視線を滑らせた。

 いつものように一人ぼっちの空間は
 何故か少しだけ、寒く思えた。


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