両輪…02
陸矢は掛けられた問いに直ぐには答えず、差し出されたグラスを受け取って水を一気に呷った。
乾いた喉が潤ってゆく感覚に、無意識に吐息が零れ落ちる。
「あのさ……次の給料日まで、その…」
言い難そうに口ごもり、一度唇を閉ざした。
続く言葉は、天祢には分かっている。
陸矢の頼るべき相手は常に自分で、そして……今まで何度も、耳にして来た言葉だから。
「家事は全部、おれがやるから…つまり、だな…お前の所で暫く、せ…世話になっても、いいか?」
断ったことなど、ただの一度も無いと云うのに、陸矢は恐る恐る尋ねて来る。
迷惑だ、とでも言えば陸矢は多分、男の癖に泣くのだろう。
何気ない拒否の言葉が、何倍も痛く感じるほど、陸矢は自分に夢中なのだから。
込み上げて来る笑いを咬み殺した天祢は、机上の煙草ケースを手にした。
中から取り出した煙草を口に咥え、ライターで火を点ける。
深々と吸い込んで口腔に広がる苦味を堪能し、紫煙をゆっくりと吐き出す。
「それは大歓迎だけど…いいの?翌朝、足腰立たなくなるよ」
「お、お前…な、何言い出すんだよ。そんな事になったら、しょ、職務に支障をきたすだろ…」
しどろもどろになりだした陸矢の姿に、天祢は堪え切れず、笑い出した。
顔かたちからして、さぞかし場数を踏んでいるだろうと思われがちだが
陸矢は自分とは違って意外にも奥手で純情な為、からかい甲斐の有る反応をしてくれる。
何年経っても、何度身体を重ねても、初々しい反応は変わらない。
「何笑ってんだよ。…やっぱ良い、会社の同僚んところ行く」
揶揄されたのだと少し遅れて理解し、陸矢は気を悪くしてソファから立ち上がろうとした。
が、身を乗り出した天祢が、素早く陸矢の腕を掴む。
「他の男のもとに行ったら俺、何しでかすか分からないよ。」
驚くほど冷たい声音が響いて、陸矢は身体を強張らせた。
掴まれた腕を振り解くこともせず、黙ったまま、天祢を見据える。
すると天祢は口元を緩め、掴んでいた手をあっさりと解放した。
「リクヤさぁ…何か有ったら、必ず俺の所に来るよね。俺たち、車の両輪みたいじゃない?」
「…何だ、それ?」
天祢に掴まれていた部分がやけに熱く、反対の手でそこに触れながらも平静を装って尋ねる。
小難しげに眉を顰めた陸矢から目を離さずに、天祢は煙草の先端を机上へ押し付け、火を消した。
「車の左右の輪みたいに、どちらも欠くことのできない密接な関係――って、意味らしいよ。」
「……おれは、別に。お前が居なくたって生きてゆける…と、思う」
真っ直ぐに向けられる強い双眸から、逃れるようにして目を逸らし、素直じゃない返答を零す。
それが本心では無いことを十分理解している天祢は、愉快げに笑い声を立てた。
「どっちかが欠けたら、どっちかが崩れる。そうなってんだ、俺たち。……だから、俺から絶対に離れないでくれよ」
ゆったりと伸びて来た手が、陸矢のネクタイをそっと掴む。
その手を目で追った後、天祢へと視線を戻した陸矢の耳に、響きの良い声が続いた。
「―――俺から離れたりしたら絞め殺すよ。」
紡いだ言葉とは、あまりにも不釣合いな、にこやかな微笑み。
どれだけ残酷な言葉でも、魅力的な存在が口にすると云うだけで、恐れは抱かなくなる。
………恐いとすら思えないのは、こいつの云う通りの関係だからなのかも知れないな。
陸矢は諦めたように、ほんの少しだけ笑った。
「なら、お前も、おれから離れんなよ。もし離れたら……おれは、噛み殺してやるから。」
「その科白…すごい、そそる。」
耳に響いた陸矢の科白に興奮を強め、天祢はうっすらと舌なめずりし、嬉しげに囁く。
そんな相手に対し、馬鹿だな、と笑いながら返した陸矢は
ネクタイを引かれるまま天祢の唇へと――――噛み付くように、口付けた。
終。
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