暁芳兄さん、近い内、こっちに帰って来るそうですね。母さんから聞きました。
母さんは大喜びしていて、今じゃ、知人に会う度にふれ回っています。
父さんも毎晩のように、兄さんはいつ帰って来るのかと、訊いてきます。
二人とも兄さんの帰りを本当に待ち侘びているようです。勿論、ぼくもです。
兄さん、この時期になると昔はよく、真栂(神社へ星を観につれて行ってくれましたね。
また、兄さんと星を観に行きたいです。
会える日を、とても愉しみにしています。 すばる
『 祈り 』
丁寧に手紙を書き終え、文面を数回読み返す。
それが終わると、便箋を綺麗に折り畳んだ。
返事が来ないと分かっているのに、しかも今月は既に1枚出したばかりだと云うのに、ぼくはまた手紙を書いた。
彼が戻って来るのだと聞かされて弾む心が抑えられず、書かずにはいられなかったのだ。
5年以上も暁芳兄さんは帰省しなかったのだから、会うのは本当に久し振りだ。
一回りも歳の離れた兄は、都心で一人暮らしをしている。
ぼくが住んでいる場所は海辺にある田舎町で、都心へは快速電車でも2時間以上掛かる。
会おうと思えば会える距離だけれど、兄は多忙なのだから、なかなか戻って来れないのも無理は無い。
彼が家を離れて以来、ぼくはずっと手紙を書いて送っている。
だけど2年前から、急に返事が来なくなった。稀に兄から届く葉書は両親宛てのものだ。
去年の春に兄が電話をくれた際、不安になって、ぼくの手紙は届いているかと尋ねた事がある。
きちんと読んでいると返されたので、忙しい兄は返事を書く暇も無いのだと悟った。
返事の来ない手紙を送り続けるのは、虚しくなる一方だったし
相手が兄ではなかったら、ぼくはとうに、手紙を出すのをやめていた筈だ。
ひと月に数枚ほど出していた以前と比べると数は控えめになったが、それでもやめる事は無かった。
ぼくは、大好きな彼と少しでも何かで繋がっていたい。だから懲りずに、今も手紙を書いている。
折り畳んだ便箋を封筒のなかへそっと入れ、抽斗をあけて碧色の蝋と刻印を取り出す。
ラヂオから流れる天気予報に耳を傾ければ、今週の終わりには梅雨が明けると告げていた。
七月も、もう終わりに差し掛かっている。
暁芳兄さんが戻って来るのは来月だろうかと思案しながら、燐寸(を擦った。
発火音が小気味良く響いて、橙色の火が勢い良く灯る。
リンの燃える匂いが鼻先を擽って、心が惹き付けられる。
勢いを無くした火が小さくなって、ゆらゆらと揺れる様は、いつ見てもきれいだ。
しかし、ずっと見つめている訳にもいかず、蝋の芯に近づけて火を灯した。
溶けた蝋を封筒に垂らし、印を押して蝋が固まるまで待つ間、ぼくはいつも暁芳兄さんのことを考える。
歳がかなり離れているのにも関わらず、いつも面倒を見てくれたし一緒に遊んでくれた。
兄さんは、ぼくの一番の理解者だ。
そんな暁芳兄さんにも云えない秘密を、ぼくは抱えている。
暁芳兄さんだけじゃなく、親にも友だちにも、誰にも云えない秘密だ。
口にしてしまえば誰だって、頭がおかしいと思うに決まっているし、自分でも、まっとうじゃない事は分かっている。
溜め続けた兄への想いを、以前、便箋に書き連ねたことが有る。
文字にすると、ひどく落ち着いたのを覚えている。
文面を読み返して、異性では無く同性に反応する自分は異常なんだと、冷静に受け止める事が出来た。
それ以来、あの手紙は鍵が掛かった抽斗の奥に、しまってある。
もう読み返す気も無いし、ぼくがもっと大人になったら、燃やして捨ててしまおうと決めていた。
「やっぱり、いびつだ…、」
蝋が固まったのを見はからって印を外すと、溜め息が零れた。
手紙を封蝋するのは、暁芳兄さんの影響だ。
まだ返事が来ていた頃、彼からの手紙はすべて封蝋だった。
それがとても印象的で、ぼくも真似てみたのだけれど、未だに上手く出来ずにいる。
暁芳兄さんの封蝋は、蝋の形がとても綺麗で整っている。
比べてぼくは、いつまで経っても、いびつな形にしかならない。
暁芳兄さんが戻ってきた時には、綺麗に出来る方法を教えて貰おうと期待感を膨らませ、ぼくは窓の外へ目を向けた。
今日は昼頃からずっと、小雨が降り続いている。
ふと、雨に触れてみたくなって椅子から立ち上がり、窓を開けて手の平を差し出してみた。
七月の終わりに降りしきる雨は、何だかとても温かった。
八月の2週目に、暁芳兄さんは戻って来た。
久し振りに見たその姿は印象的で、ネクタイをきっちりと締めた濃紺のスーツ姿だ。
驚くほど、スーツが似合っている。
彼のそんななりを初めて目にし、視線が釘付けになった。
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