祈り…06

 そんなのは屁理屈でしか無いだろうと言い掛けたが、無駄な論争になりそうで止めた。

「…ヒナは、どうしてこんな処に居るんだ。」
 話題を変えると、従姉は途端に厳しい表情になった。
 急な剣幕に怯んだぼくに、直ぐには言葉を返さず、彼女は肩に掛けていた鞄の中を漁り始める。
 タオルに包まれたミネラルウォーターの壜を取り出し、それを押し付けるように手渡してきた。
 ひんやりとした冷たい感触に、ごくりと喉が鳴る。
 従姉に礼を告げて蓋を開け、一口呑んだ。
 からからに渇いていた喉が癒され、続けて呑んだ矢先に、彼女の溜め息が聞こえた。

「叔母さんがね、電話を掛けてきたの。日傘も持たずに外に出たって、心配していたわ。財布も持たずに出て行ったから何も買えないし、水分補給も出来無いんじゃないかって、」
「だから、此処に来たのか。偶然じゃなかったんだ、」
「すばるの行動パターンは、あたしが一番良く知っているから。この道を通って来るだろうなって、予想もついたの。……倒れていたらどうしようって、ずっと考えてた。」
 従姉は目を伏せ、表情に困惑げな色を浮かべた。
 目を伏せると、長い睫が際立つ。
 以前よりも綺麗になったなと会う度に思いはするが、下心を抱くことは無い。
 黙ったままで従姉に視線を向けていると、彼女は再度溜め息を零し、ぼくを睨んだ。

「親に心配掛けさせるなんて、どうかしてる。自分が陽に弱いってこと、分かっているんでしょう。もう子供じゃないんだから自己管理ぐらいしたらどうなの。甘えるのは、やめなさいよ。」
 厳しい声音が掛かったけれど、ぼくはそれを素直に受け入れられた。
 ぼくがしないように、彼女もまた、ぼくに遠慮はしない。
 いつだって本音をぶつけてくれるし、間違いがあれば叱ってくれる。
 例え厳しくても、それは、ぼくにとっては有り難いことだ。
 ぼくに非が有れば隠すことなく教えてくれて、自分を見つめ直す機会を与えてくれる。
 それが優しさと云うものなんだと、ぼくは思っている。


 ………ぼくは、心の何処かに甘えがあった。
 日傘を持たなかったぼくを、兄が気に掛けてはくれまいかと云う、浅ましすぎる甘えだ。
 彼には誠実でありたいと願っていても、理想は遠く、近づけない。
 ぼくの心は、まだ弱くて、ちっとも大人になりきれていない。
 それを痛切して、笑うべきことでもないのに、少し笑いが零れた。

「すばる、どうしたの、」
「なんでも無いんだ。…心配掛けさせて、ごめん。ヒナの云う通りだ。甘えていた、」
「謝るのは、あたしにじゃなくて叔母さんにでしょう。暁ちゃんも、すごく心配していると思う。」
「……それは、どうだろう。」
 兄の態度を思い出して、心が曇る。
 そんなぼくを従姉がじっと見据えてくるから、顔に出てしまったんだと分かって気まずくなった。

「何かあったの、」
「いや…それより、此れ。面白かったよ、」
 片手に持っていた書物を差し出したが、直ぐには受け取って貰えない。
 兄の話題を避けたぼくを、彼女は訝しげに見つめていた。
 余計に気まずくなって、彼女の細い手を強引に掴んで書物を持たせ、傘の下から出た。
「早く帰って、母さんに謝らないといけない。本の感想は今夜、電話で云うよ。」
 云いながら、ぼくは背を向けた。
 足早に立ち去ろうとしたが、腕を掴まれて引き止められてしまう。
「すばる、待って…家まで送ってく。途中で倒れられでもしたら、夢見が悪いから。」
 唐突な申し出に戸惑ったけれど、従姉が下唇を咬んでいるのを目にして、その胸中を察した。
 恐らく、昔のことを思い出したのだろう。

 まだ幼かった頃、今日みたいな暑さのなかで、従姉と隠れ鬼をしたことがある。
 強制的に鬼にされて彼女を捜し回ったが、なかなか見つからず途方に暮れた。
 従姉はとっくに自宅へ戻って涼んでいたのに、ぼくは炎天下のなか駆け回って、とうとう倒れたのだ。
 病院で意識を取り戻した際、一番目に付いたのは、滅多に泣かない従姉が声を上げて大泣きしていた姿だった。
 本当に危なかったのだと兄から聞かされたが、幼かったぼくは死に対しての実感が湧かなかった。
 今は、死ななくて良かったと思っているだけで、従姉を怨む気持ちなんて無い。
 だけどあの一件以来彼女は、夏になると頻繁に訪ねてきたり電話を掛けて来る。
 それが彼女なりの償いなんだと気付いたのは、中学にあがってからだ。
 気付いてからは、彼女を本気で疎ましく思うことが無くなったし、反抗心は抱いても心底嫌いにはなれずにいる。



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