祈り…07
「ヒナ、……もう、昔のことだよ。気にしなくていい、」
「自分を簡単に許せないの。殺人未遂だから。」
「……大袈裟、だな。第一、ヒナが倒れたらどうするんだよ、」
「大丈夫、暑さには強いから。脆いすばるとは、出来が違うのよ。」
軽口で云って、従姉はぼくの腕を引き、もう少し傍に寄るよう告げた。
お互いの肩が触れたけれど、何の感情も抱かなかった。
こう云う時、自分は異常なんだと思い知らされる。
まっとうな男なら、どんな反応をするべきなのか、ぼくは未だに理解出来ずにいる。
従姉の歩調に合わせて進みながら、傘を受け取った。
以前、従姉から教えられたが、傘を差すのは男の役目だそうだ。
当時は横暴だとしか思わなかったけれど、最近では、彼女の要求は逆らうより
すんなり受け入れる方が、無駄なエネルギーを使わずに済むと悟った。
それに、ぼくに対しては利己的なのも、もう慣れた。
帰路を辿り、地面に落ちた二つの影に目を凝らしていると、不意に従姉が口を開いた。
「そう云えば、明後日の夜半から明け方に流星群がみれるらしいわね。」
「ああ…もうそんな時期だっけ、」
「すばる、勉強のし過ぎよ。情報に疎くなってる、」
「仕方無いだろ。ぼくが受ける大学は合格点が高いし、受験科目も多いんだ。」
「でも、予備校の模試の結果、良かったんでしょう。」
「…ぼくの場合、油断すると痛い目を見る。気を抜くと大抵、失敗に終わるんだよ。……ヒナは誰かと観るのか。流星群、」
「そうね…相手がいれば、ね。」
彼女は前を真っ直ぐ見つめて、澄ました顔で答える。
この美人な従姉には、交際相手がいたのにと考え、ぼくは疑問を口にした。
「医大生はどうしたんだよ。院長の息子だとか、云っていただろ、」
「アレね、やめたの。空っぽなんだもの。肩書きがあっても中身が無いと退屈なだけ。」
「随分、あっさりしているんだな。好きだったんじゃなかったのか、」
「すばるには関係ないでしょう、」
ぴしゃりと云われて、慌てて口を噤む。
他人の色恋沙汰に口出しできるほど、ぼくは出来た人間でもない。
だからそれ以上は訊かず、黙ったまま暫く歩き続けていると、退屈を嫌う従姉がぼくの脇腹を肘で軽く突いてきた。
話題を触れと云う合図だ。
いささか迷った後、揶揄されるのを覚悟して質問をぶつけた。
「ヒナは、もし好きな相手に冷たくされたらどうする、」
「好きなひと…居るんだ、」
てっきり揶揄されるかと思いきや、従姉の声は真面目なものに変わった。
質問を返されて言葉に詰まり、ぼくは頷くことも出来ない。
それをどう取ったのか、従姉はにこやかな顔付きになって口元を緩めた。
「あたしなら、相手の良心につけこむわ。泣くの、」
「涙は女の武器ってヤツか。いいよな、女は。泣けば同情を買える、」
「違うわ。女の武器じゃなくて、美しいひとの武器。すばるだって顔のつくりは良いんだから、使えるでしょう。」
「……ぼくは男だ。男は、涙なんて気軽に見せちゃいけないって父さんが云っていた。」
「古くさいわね。相手の気を引く為なら、何でもしないと。」
「そんなのは、利己的な行為だろう。ぼくは、好きな相手を困らせるような事はしたくない。」
きっぱりと返して、前方に目を向ける。
暑さの所為で景色が霞んでいるが、坂下に建つ自分の家は見落とさない。
数メートル手前まで近付くと、兄の冷たい態度ばかり思い出し、自然と足は重くなった。
例えぼくが泣いたって、彼の態度が変わることは無いだろうと思う。
あの拒絶は、そんな安易な行動で消えてなくなるようなものじゃない。
暁芳兄さんのことで気が滅入り、家から顔を背けた矢先に横から呆れ声が響いた。
「すばるって、本当に馬鹿ね。」
「なんだよ、いきなり。ぼくは一応、成績は良いほうだ。」
「頭脳の問題じゃなくて、人間性の問題。」
相変わらず、遠慮なしに物を云う。
門口の前まで来ると、流石に云い返す気力も失せて黙り込んだ。
そのまま庭を通り、玄関の手前まで進むと不意に、従姉が足をとめた。
「寄って行かないのか、」
「今日はやめておく。用事が有るの。…ねえ、すばるの好きなひとって、どんなひと。」
やけに真面目な顔をして、重みの有る物言いで問われる。
兄の姿が鮮明に浮かんだけれど、正直に云える筈も無い。
言葉にしてしまえば、ぼくの人格を否定されるに決まっている。
最悪、兄までも奇異や非難の目にさらされる可能性だって有るのだから
ぼくの想いは、安易に言葉にしてはいけないのだ。