祈り…08

「…年上。」
「それだけ? 外見とかは、」
「教えない。」
「じゃあ、これ以上は訊かない。その代わり、キスして。」
「……冗談、」
「半分は本気よ。」
 従姉の身体が動いて、唇が重なった。
 柔らかい感触に少し驚いたけれど、喜びや興奮は抱かない。
 異性とキスをしても冷静な胸の内が、ほんの少し、哀しく思えた。

「…あたしはね、好きな相手なら尚更、困らせたくなるな。……でも、すばるになら振り回されてもいい。」
 身体を離して距離を置いた従姉は、目を伏せながら不可解なことを云う。
 先刻の行動に触れない様子からして、あの行動に深い意味は無く、ただの冗談だったのだろうとぼくは決め込んだ。

「矛盾しているだろう、それ。それに、どうしてぼくが出てくるんだよ、」
「呆れた。すばるって本当に鈍いのね。当分、電話を掛けて来ないで、」
 従姉はどうしてか怒りだし、ぼくの手から日傘を奪い取ると、サンダルの踵で足を踏みつけてきた。
 加減してくれたらしく激痛とまではいかなかったものの、眉根が寄る。
 別れの言葉を放った彼女は軽く手を振って、足早に門をくぐり、去ってゆく。
 呆然とその背を見送っていると、横から声が掛かった。

「驚いたな。雛乃と、そう云う仲だったのか。」
 振り向けば、暁芳兄さんが庭の奥から姿を見せた。
 その表情は安堵しているようにも、喜んでいるようにも見える。

「…さっきのは、そう云う意味じゃ有りません。」
「隠さなくてもいいだろう。秘密にしておけと云うなら口外はしないが。…しかし雛乃と…そうだったのか、」
 従姉との関係を誤解され、しかもそれが定着し始めている現状に焦りだす。
 慌てて否定しても、兄は「照れるなよ」と云うだけで、認識を改めてはくれない。
 上手く誤解を正す術など思いつかず、心の底から深い溜め息が零れそうになる。
 それを堪えようと歯を咬んだが、今までと違う兄の様子にぼくは気付いた。

「女と交際するようになったんだな。…安心した、」
 嬉しそうに微笑んだ兄を前にして、その言葉よりも、兄が笑ってくれた事に意識が向いた。

 どうしてか、彼の雰囲気は柔らかい。
 二人きりになると必ず感じた拒絶や刺々しさも、今は無い。
 彼の笑い顔から目を離さず、まだ少し警戒しながら慎重に言葉を紡ぐ。

「兄さん、どれぐらいこっちに居られるんです、」
「旧友には挨拶も済ませたし、明日には帰ろうと決めている。」
「明日って、そんな…急に…、」
「今回こっちに戻って来たのは、大事な話が有ったからだ。長居するつもりは、もとから無かったんだよ、」
「なんです、その…大事な話って。」
「……結婚する。」
「だ、誰が…、」
「俺がだよ。そろそろ身を固めないと、拙い歳になったんだ。」
 衝撃的な告白に、愕然とした。
 本来なら掛けるべき筈の、祝いの言葉が出て来ない。
 おめでとうと、言葉にできない自分の不甲斐無さに、消えてしまいたくなる。
 兄がまだ何かを云っていたが、声が遠くなったり近くなったりして、言葉が上手く頭に入らない。

 ぐらぐらと、世界が大きく揺れている。
 両足に力が入らず、立っている感覚が無い。

 ――――息苦しい。
 まるで首を絞められたようだと考えた瞬間、膝の力が抜けて身体が傾いた。
 地面にぶつかる、と。それだけは冷静に考えることが出来たが、ぼくの身体は伸びて来た腕に支えられる。

「大丈夫か、すばる。」
「…少し、目眩がしただけです。」
「陽に当たりすぎたんだろう、無理をするな。おまえ、夏場はよく目眩を起こしていただろう、」
 兄の優しい声が直接心にしみ込んで、泣きそうになる。
 堪えようと顔を背け、兄の腕から離れようとした瞬間、抱き上げられて肩に担がれた。
「に、兄さん…なにを、」
「いいから、じっとしていろ。家に戻るぞ、」
「降ろして…降ろしてください、自分で歩ける、」
 慌てて訴えたが聞き入れては貰えず、家のなかへ運ばれた。

 廊下を進んで居間に着くと、静かに畳の上へ寝かされる。
 兄は「直ぐに戻る」と告げてその場を離れ、数分経過したのち、氷枕と濡れタオルを手に戻ってきた。
 額に濡れタオルが乗せられ、心地好さに浸っていると、後頭部をそっと抱え上げられて下に氷枕を敷かれる。



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