祈り…11

 焦りすぎている所為か、膝に上手く力が入らない。
 何度か段差を踏み外しそうになりながらも、階上へあがって自室へ戻る。
 扉を閉めることも忘れて、机上のペンスタンドから物差とカッターナイフを持ち出し、書棚の前に立った。
 抽斗の鍵は、天板裏と背板との接合部辺りに粘着テープで固定してある。

 どんな角度からでも書物に隠れるよう工夫しているが、念を入れて今まで誰も自室へ通さなかった。
 両親ですら、ぼくが部屋にいない時は私物には決して触れないし、二人はそれが親として当然の行動だと思っている。
 だから万が一、鍵を見つけたとしても、それを使って抽斗を開けることは考えられない。

 書物を棚から取り除き、奥のほうを確認してみた。
 薄く小さな鍵が見えたが、粘着テープが剥がされた形跡は無い。
 物差を当てて測ってみても、接合部から8mm距離をあけた位置で固定したのは以前と変わらない。
 一度深呼吸することで逸る気を抑え、カッターナイフの刃を使ってテープを慎重に剥がした。

 鍵は、掌にすんなりと納まるほど小さい。
 それなのに、やけに重く感じて抽斗を開けることに躊躇いを覚える。


 手紙が入っていなければ………兄の拒絶は一生、ぼくの中に残ってしまう。
 ぼくはどうしても、今の現状を無かったことにしたい。

 送る筈も無かった手紙を誤りで送って、伝える気も無かった想いを知られてしまって。
 そして拒絶されるなんて、あまりにも間抜け過ぎるじゃないか。
 恥ずかしくて、情けなくて、堪らない。
 こんなにも惨めな気持ちを抱えて日々を過ごせるほど、ぼくはまだ、強くない。


 ―――――ぜんぶ、無かったことにしたい。
 そう願う自分の浅ましさから目を背けて、ぼくは急いで机の前へ向かい、抽斗の孔に鍵を差し入れた。
 手が、ほんの少しだけ、震える。

 強烈な緊張感に苛まれながらも、鍵を回す。
 ごくりと喉を鳴らした後、勢い良く抽斗を引いた。
 なかには、薄碧色の便箋が一枚だけ、半分に折り畳んで入っていた。


 手紙だ。
 やっぱり、有ったじゃないか。
 暁芳兄さんは、きっと、なにか勘違いをしていたんだ。
 だってあの手紙は今、ここに有るのだから。

 便箋を指でなぞって、ぼくは笑い声を零した。
 自分の声が震えていると理解した途端、身体の力が抜けて、倒れるように椅子へ腰掛ける。
 安堵感から深く息を吐いて、便箋を眺める。
 半分に折り畳まれたそれを徐に開いて、文面を読み返し―――――凍りついた。
 目に映ったのは、学校生活のことや友人がまた一人増えたことしか、書かれていない。
 どれだけ読み返しても、兄に対する想いは何処にも書かれていなかった。
 嘘だろう、と。両手で顔を覆い、俯く。

 もう、誤魔化しようが無い。
 やはりぼくは誤って、兄に送るほうの封筒に、あの便箋を入れてしまったのだ。

 あの時、どうして何度も確認しなかったんだろう。
 細心の注意を払っていれば、こんな結末にはならなかった。


 ……………ぼくは、救いようの無い馬鹿だ。

 どれだけ悔やんでも自分を責めても、過去の軽率な行動は消えず
 先刻聞いた拒絶の言葉が、頭の奥に何度も響く。


 想いには応えられない、なんて。そんな当たり前のことを、彼に云わせるつもりじゃ無かった。
 自分の想いは異常なんだと分かっていたからこそ、誰にも告げず、死ぬまで蓋をしようと決めていた。
 それなのに、目の前にあるのは最悪な結末だ。
 あまりにも惨めで、遣る瀬無い。

 間抜けな自分が悪いのだと、痛いぐらい分かっている。
 だけど、こんな風に終わってしまうなんて、あんまりじゃないか。


「すばる、もう具合はいいの、」
 急に背後から声が掛かって、ぼくは慌てて振り向いた。
 廊下側から、母が心配そうに此方を窺っている。
 扉を開け放したままだったことを、ぼくはすっかり忘れていた。

「はい。暁芳兄さんが…介抱して、くれましたし…、」
 名を口にしただけで、彼の拒絶を思い出して声が小さくなる。
 ほんの少し俯くと、母は安堵したように息を吐いた。
 また心配を掛けさせてしまったのだと気付き、ぼくは詫びるつもりで、深々と頭を下げた。

「母さん、…ご心配をお掛けして、申し訳ありません。」
「どうしたの急に。私はすばるの母親よ、親が子供の心配をするのは当然でしょう、」
 温かい言葉が耳に響いて、胸中で罪の意識が渦巻く。


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