祈り…12
こんなにも優しい母にすら本音を打ち明けられず、まっとうに生きられない自分を恥ずかしく思う。
ぼくは…………同性を、しかも実の兄を好きになった、どうしようもない人間だ。
母の人間性を前にして、余計に、手をついて詫びたい気分になった。
「ねえ、すばる。結婚するって話、お兄ちゃんから聞かされたんでしょう。だから、そんなに元気が無いのね。
…暁芳ったら、久し振りに戻って来たかと思えば急に結婚するだなんて、困るわよね。
あの子は、昔からそう。何でもかんでも、自分で決めちゃう子だったもの。」
困ると云いながらも、母の口調は嬉しげだ。
兄の結婚を心から祝福しているのだと、痛いほどよく分かる。
だけど、ぼくは……………今でも、喜べないし祝えない。
そんな己の醜さが嫌で、もっと立派な人間になりたいのになれない事が、歯痒くて堪らない。
婚約者の写真を見せて貰ったのだと語る母に向けて、ぼくは震えた声を放った。
「母さん、ぼくは…兄さんに、祝いの言葉を掛けてあげられなかったんです。」
「うん。多分、そうなるだろうなって、お母さん思ってた。」
「…え…、」
「すばるは、暁芳が大好きでしょう。昔、すばるのお友達が暁芳に懐いただけで、やきもちを焼いたりして…家出したの、覚えてる?」
過去の失態を持ち出されて、無性に恥ずかしくなる。
大好きの意味合いが違うことを、見透かされていないかとの不安も合わさり、居た堪れない。
親に対してすら臆病になっている自分を情けなく思いながら頷くと、母は柔らかい微笑を見せた。
「暁芳もね、すばるのことが大好きなのよ。きっと私たちよりも、すばるに一番、祝って欲しいんじゃないかしら。
……人間って大半が、自分を優先にしちゃうでしょう。ひとの幸せを心から祈ることって、簡単なようで意外と難しいのよ。
でも、すばるは強いから、ひとの幸せを祈れる人間になれると思うの。」
結婚を祝福出来無いぼくを、母は責めなかった。
まるで諭すように、優しくて温かい物言いで……………正直、そっちの方がぼくにはこたえる。
自分の非を認めている時は優しい言葉を貰うよりも、責められたほうがずっと楽だ。
返すべき言葉も見つからず、黙り込んでいると、不意に母が笑い声を立てた。
「すばるは知らないと思うけれど…暁芳ね、すばるは誇りだって、いつも自慢していたのよ。」
「自慢……、」
「すばるは出来た人間だから、本当の独りにはならない、って。口癖のように云っていたの、」
「……あの、兄さんは…何処へ、」
「私が帰ってから、すぐに出かけちゃったのよ。最後の日ぐらい、家でゆっくりしていけばいいのにね。」
母が眉を寄せ、残念そうに小さな溜め息を吐く。
それが合図だったかのように、階下から電話の呼び出し音が響いた。
「お父さんよ、きっと。さっきね、結婚祝いは何を買えばいいんだって電話を掛けてきたの。
暁芳からは、挙式は来年だって聞かされたけれど、正確な日にちはまだ決まっていないのよ。ほんとうに、せっかちなんだから。
ティーセットにすればって云っておいたから今度は多分、どんな模様がいいか訊いて来ると思うわ、」
母は口元を押さえて笑い、その場から立ち去って階下へ向かった。
呼び出し音は丁度、十二回目で途絶えたが、1分も経たぬ内に再び鳴り響く。
父はいつも、その回数で一度電話を切って再び掛け直すひとだから、分かり易い。
閉めようと部屋の扉へ近付いた途端、電鈴が止んだ。
耳を澄ませば、電話に出た母の声が微かに聞こえる。
扉をそっと閉めて視線を移し、ぼくは机上に置かれた便箋を見据えた。
あまりにも、間抜け過ぎる結末。
今でも恥ずかしくて、情けなくて、消えてしまいたいぐらい惨めだ。
こんな想いを背負ったまま生きてゆくほど、ぼくはまだ、強くもない。
……………けれど、兄は、こんなぼくを誇りだと思ってくれている。
その言葉に、ぼくは応えたい。
ぼくは、まだ強くないけれど――――だからこそ、強くならなければいけない。
どれだけ格好悪くても、惨めな想いをしても。
目の前にある現実を、受け入れなければいけない。
決意を胸中に抱きながら窓へ近付き、天を仰ぐ。
点在する光が、夜空で瞬いてとてもきれいだ。
窓硝子を開けて桟に腰掛け、ベガを探そうと視線を動かす。
一際明るく輝く、青白い星はすぐに見つかった。