祈り…14
嬉しそうな表情をして衒い無く云う兄の姿に、口元が自然と緩む。
兄は、知識をひけらかす訳でもなく心底愉しそうに語るものだから、余計に夢中になって聞き入ってしまう。
好奇心を掻き立てられて織女星のベガに目を凝らすと、兄から教わった言葉が脳裏に浮かんだ。
―――――織姫と彦星は、15光年も離れているんだよ。
だから簡単には逢えないんだ。一年に一度逢えるなんて、本当に、夢の話さ。
七夕の星として有名な織女星と牽牛星が出逢うには、15年以上も掛かるほど、距離が離れている。
だけど、どんなに離れていても、お互いに想いあっているのなら
距離なんて大きな障害にならないだろうと、ぼくは思う。
大好きなひとの傍にいても距離を感じるのと、想い合っていても簡単に逢えないのとでは、どちらが苦しいんだろう。
「………兄さん、結婚する相手って、どんな女性なんですか、」
ベガを眺めていたら、無意識に言葉が出た。
答えを聞いても辛いだけだと分かっているのに、ぼくは母が云ってくれたことを思い出し、質問を取り消さなかった。
「どうしたんだ急に、……そうだな。とても優しくて、できのいい女性だよ。愛嬌もある。親父たちも、きっと気に入ってくれると思うよ。」
その女性を思い浮かべるように、暁芳兄さんは遠くを見て笑った。
――――――すばるは強いから、ひとの幸せを祈れる人間になれると思うの。
母の言葉が、先刻から、ぐるぐると頭の中を駆け巡っている。
それなのにぼくは、またしても祝いの言葉を口に出来なかった。
胸が、むかむかする。
込み上げてくる汚い感情を抑えようと、視線を夜空に逃し、不自然なほど話題を変えた。
「兄さん、ぼくは絶対等級の話を最後まで聞いていないんです。」
「確か…退屈で眠ってしまったんだっけ。幼いおまえには難しい話だったからな、」
「でも、今なら聞けます。教えてくれませんか、」
「いいよ、先ずは…そうだな。1等星や2等星と云った、天体の明るさを示す等級だが…
あれは肉眼で見た明るさであって、本来の明るさじゃないんだ。」
「肉眼で見た明るさは、視等級ですよね。」
「何だ。勉強しているんじゃないか、」
「少ししか調べていません。2等星より1等星のほうが明るく見えるのは、地球からその星までの距離が近いから…ぐらいしか、」
「中途半端だな。そこまで調べたら絶対等級も調べておけよ、」
愉快そうに笑って、兄はぼくの頭を撫でてくれた。
すぐにその手は離れていったけれど、急上昇した体温は下がらない。
ほんの少しだけ俯けば、兄の声が耳に響く。
「簡単に云えば、天体を同距離に移動させた想定の明るさが絶対等級だ。地上からの距離に依存していない、本来の明るさ、だな。
絶対等級だと太陽の明るさは平凡で、太陽より明るい星はいくつもある。
織女星が、太陽より五十倍の明るさで輝いているんだと以前、教えただろう。」
「はい。ちゃんと覚えています。…ぼくは、兄さんに教えて貰ったことは絶対に忘れない。」
顔を上げ、兄をまっすぐに見据えて告げると、彼は「そうか」と呟いた。
それきり黙ったままで、何も云わない。
沈黙がひどく重く感じて、息苦しい。
昔は、暁芳兄さんとぼくの間に、こんなにも重い空気なんて無かった。
あの頃の関係に、戻りたくて。
まだ、自分だけの兄でいてほしくて、名前を知っていると云うのにぼくは、淡く輝く黄色の星を指さした。
「兄さん、あれは…あの黄色く光っている星は、なんです、」
「北極星、だな。小熊座の尾の部分だ。動かない星と云われているが、実際は地軸の延長上からほんの少し離れているから北極星も僅かに移動するんだぜ。
……その上に、竜座のトゥバンがみえるだろう。あれは、5千年前の北極星だよ。
1万2千年後には地軸の向きが変わって、今度は織女星が北極星の位置にくるんだ。」
「やっぱり兄さんは、すごいです。色々なことを知っている。…兄さんは、星に関する職に就くんだと思っていた、」
「……なかなか思い通りにいかなくてな。だが、今の職は性にあっているんだ。
多忙過ぎて、余計なことを考えずに済む。…それに、上司のお陰で、いい女性とめぐり合えたしな。」
そう云って笑う兄が、やけに遠く感じる。
一方的な愛は、さびしくて、苦しくて。
大好きなひとは、あまりにも遠すぎる。