祈り…15
「…そろそろ、帰ろうか。」
短い言葉を放って、兄は昔みたいに手を差し出してくれた。
兄と手を繋いで帰路を辿った記憶が、鮮明に蘇る。
暁芳兄さんの優しさが、嬉しくてたまらないのに…………胸は、張り裂けそうなぐらい痛かった。
手を繋いでいても、隣を歩いていても、距離は縮まらない。
傍にいても彼が遠く感じるのは、ぼくが、叶わない想いを抱いているからだろうか。
恋心に気付かないままだったら、こんなにも切ない想いは抱かなかったし、大好きな兄を困らせることも無かった。
ぼくが、恋心さえ抱かなければ………ずっと変わらず、仲のいい兄弟でいられたのに。
胸が咳き上げて堪らず、咄嗟に、繋いだ手から顔をそらした。
見れば、兄は真っ直ぐに前を向いていて、声すら掛けてくれない。
暁芳兄さんとの間に沈黙が生じるのには耐えられず、必死で話題を探す。
ふと、昼間に従姉から聞いた話を思い出した。
「兄さん、明後日は流星群がみれるんですよ、」
「知っているよ、ペルセウス座流星群だろう。だけど俺は、東京に戻るよ。………おまえと星をみるのも、これっきりだ。」
衝撃的な言葉が響くと、ぼくの足はぴたりと止まった。
絡まっていた指がほどけて、繋いでいた手が、ゆっくりと離れてゆく。
「どう、して……ぼくが、兄さんを…………好き、だから、」
抑えられず、とうとう言葉に出してしまった。
暁芳兄さんの表情が曇って、眉まで顰められる。
それを目にしたら胸が痛んで、途方も無い切なさが込み上げた。
「ごめん、なさい。応えて貰いたいなんて、厚かましい願いは抱きません。でも兄さんを諦めることなんて、ぼくには……できない、」
震えた自分の声が耳に届いたけれど、暁芳兄さんの返答は聞こえない。
永遠に続くかのような長い沈黙が、ぼくを責める。
何もかもを忘れて泣き喚いてしまいたかったけれど、そんなことが出来る筈も無い。
ぼくは、云ってはいけない想いを、言葉にしてしまった。
自分の想いを押し付けたに過ぎないのだから、泣いていい立場では無いのだ。
同性に恋心を抱かれて、望んでもいない状況に置かれた兄のほうが、ずっと辛いに決まっている。
俯いて唇を噛み締めると、静かな物言いで名を呼ばれた。
「……すばる、俺たちは男同士で、そして兄弟だ。仮に交際したとしても、後ろ指をさされるのは目に見えているだろう。
おまえは、まだ十七で、若い。俺が……俺が縛ってはいけないんだよ。分かるだろう……分かってくれ…、」
最後のほうは、まるで懇願するような声音だった。
顔を上げて見れば、兄はぼくに向けて、頭を下げている。
兄のその姿を目にして、身体が衝動的に動いた。
素早く頭を上げた兄の胸へ、飛び込む。
彼は、ぼくを無理に引き剥がすことも、突き放すこともしなかった。
熱い感情が身体の奥底から溢れ出て、もう、とめられない。
「…兄さん、好きです……ずっと……ずっと好きだった…、」
彼にとっては、重荷にしかならない感情を吐き出す。
暁芳兄さんの背に腕を回して抱きついても、ぼくの耳には沈黙しか返って来なかった。
分かりきっていた、ことだ。
それなのに胸は締め付けられたように苦しくて、心が、痛い。
腕に力を込めて、離れまいとするように、もっときつく抱きつく。
何度も何度も、好きだと、繰り返す。
自分の身勝手な想いを、ぼくは何度も押し付ける。
だけど、彼の腕が、ぼくの身体を抱き返してくれることは…………どれだけ待っても訪れなかった。
翌日、目を覚ますと、時刻は昼をとうに過ぎていた。眠りすぎた所為で、少し頭痛がする。
気だるい身体を動かして階下へおりたが、兄の姿はどこにも無かった。
昨夜は兄と一言も喋らずに帰宅し、部屋へ戻るとすぐに眠りに就いたのだから、何時に帰るのか聞きそびれた。
ひょっとして、ぼくが眠っている間に東京へ帰ってしまったんだろうか。
慌てて二階に戻り、兄の部屋へ向かった。
部屋の扉が閉まっていたから、ぼくは廊下側から声を掛け、控えめに何度か扉を叩く。
扉は直ぐに開かれたけれど、顔を出したのは兄では無く、母だ。