祈り…17
蝋の形があまり崩れないようにと、慎重に封を開く。
なかには便箋が数枚入っていた。
それを丁寧に広げると、懐かしい筆跡が目に映る。
暁芳兄さんの筆跡は、字の跳ね方が独特だけれど、全体的にきっちりと纏っていて見易い。
一度深呼吸して、ぼくはあらためて文字を目でなぞった。
『すばる、おまえに手紙を書くのは久し振りだな。黙ったまま東京に戻ったりして悪かった。
辛そうなおまえの姿を見てしまったら、正直、帰り難くなる。とんだ兄馬鹿だよな。
そう云えば、以前、封蝋が上手く出来無いと手紙に書いてあっただろう。
芯の無い蝋を使ったほうが、上手く出来るから試してみるといい。
匙で少し切り取って、下から火で熱すれば綺麗に溶ける。溶かしすぎないよう注意しろよ。蝋が薄くなってしまうからな。
手紙と云うのは、不思議なものだな。
こうして文字を書くと、心がとても穏やかになるよ。昨夜は、すまなかった。
おまえと星をみるのもこれっきりだなんて、言うつもりじゃ無かったんだ。
上手い言葉を探せば探すほど本心から遠のいてゆくのは、どうしてだろうな。
昔みたいな関係に、と云うのは無理な話かも知れないが、おまえとは、これから先も仲のいい兄弟でいたいと思っているよ。
俺の、携帯電話の番号を書いておく。何かあったら、いつでも掛けてくれていい。
おまえは俺の、これから先もずっと、俺の、大切な弟なんだ。』
――――――大切な“弟”。
文面を何度も読み返して、指でなぞる。
まだ心のどこかで、必死でしがみついている自分に、言い聞かせるように………何度も、何度も読み返した。
弟以上には、決して、なれない。
それはとても、さびしいことだ。
だけど、これからも暁芳兄さんの弟でいられる。
大好きなひととの繋がりが、残っている。
あんな醜態をさらしてしまったと云うのに、兄は、ぼくを弟だと思ってくれている。
暁芳兄さんの、その優しさを傷つけることなんてできない。
……………ぼくは、もう、この恋を終わらせないといけないんだ。
深夜2時近くまで勉強に励んでいたぼくは、ふと手を休めて窓へ近付き、窓紗を開けた。
硝子に触れて、星空をじっと見つめる。
数分も経たない内に、夜空に一瞬だけ光が走って消えた。
ぼくは素早く財布を掴み、部屋から出た。
階段を、物音を立てまいと集中しながら降りて玄関へ向かう。
もし両親が起きても心配することが無いよう、電話台の抽斗から取り出した紙に
“流星群を観に行ってきます”と走り書きを残して、静かに外へ出た。
暫く夜道を歩いていたが、家から大分離れたところで走りだす。
下り坂を抜けた先の、堤防沿いの道には公衆電話が一つある。
財布のなかから取り出した小銭を使って、覚えている番号に電話を掛けた。
呼び出し音が続き、6回目を過ぎたところで回線が繋がる。
「兄さん、夜分に申し訳有りません、」
「すばるか…どうしたんだ、」
「いま、流星がみえるんです。兄さん、みていますか、」
「ああ。みているよ。」
「……兄さん、流星って確か、塵が燃える現象ですよね、」
「そうだよ。以前、おまえに教えたよな。覚えているんだろう、」
「はい……でも、もう一度聞きたいんです。間違って覚えていたらと思うと、不安で…、」
受話器を強く握り締めて、嘘をついた。
兄から教えてもらったことは、すべて忘れずにいるし、間違って覚えるなんて有り得ない。
だけど、ぼくは……兄の声を少しでも長く、聞いていたかった。
兄に嘘を吐いたことに罪悪感を抱きはしたが、訂正する気にはなれない。
ぼくの嘘を見破った様子も無く、彼は受話器の向こうで嬉しそうに笑った。
「すばるは本当に星が好きなんだな、嬉しいよ。……彗星があるだろう。あれは、塵を撒き散らして飛んでいるんだぜ。
軌道上に、塵の群れを残すんだ。その近くを地球が通ると、たくさんの流星が見える。
塵が地球の引力にひかれて大気の層に突入し、空気との摩擦で燃え上がって発光するんだ。それが、流星群だよ、」
一言も聞き逃すまいと耳を澄ましていたぼくは、兄が言葉を紡ぎ終えるとすぐさま口を開いた。
「ありがとうございます。…やっぱり、覚えていたのと少し違っていました。」