祈り…18

「それなら、これから先もまた、俺が教えなければいけないな、」
 笑い声をまじえて、揶揄してくる。
 まるで昔に戻ったみたいで胸の奥底が温かくなって、表情が緩み、ぼくも笑い声を零した。
 その瞬間、夜空で、またひとつ星が流れた。
 流星が降ってゆく様を見て、ふと、昔聞いた言葉を思い出す。

「そうだ、兄さん。昔教えてくれたこと、覚えていますか。流星は神さまが…、」
 言葉の途中で、受話器の向こう側から「暁芳」と呼ぶ女性の声が響いた。
 電話相手は誰なのかを尋ねる女性に、弟だと説明する兄の声は親しげで優しい。
 ほんの短い会話でも親密さが溢れていて、彼女が兄の婚約者だと云うことは、直ぐに分かった。

 暁芳兄さんはもう、ぼく一人が独占できる存在じゃ無いんだと思い知らされて
 無性に、さびしい気持ちになる。


 同じ夜空をみて、電話で繋がっていて、声だって耳元で聞こえる。
 距離だって、逢えないほど遠い訳でもない。
 だけど、泣きたくなるほど、遠く感じる。
 暁芳兄さんが、あまりにも遠くて、遠すぎて―――――手が、届かない。
 もう、捕まえることも、できない。

「すばる、すまない。これから、彼女と出掛ける予定があるんだ。」
「流星群が良くみえる場所に…ですか、」
「ああ、そうだよ。悪いが、日を改めて電話をする。」
「構いません、気にしないでください。……あの、ぼく、兄さんに言い忘れていたことがありました。」
「…なんだ、」
 尋ねてくる兄の声は、ぼくに対しても、親しげで優しいものだった。
 それでもう、充分だ。
 目を伏せたぼくの胸中に、母の言葉が浮かぶ。

 きっと、今が、その時なんだろう。
 もう、終わらせないといけないのだと思うけれど、祝福の言葉は零れない。
 一度息を深く吸って、ぼくは真っ直ぐに前を見据えた。


「……お幸せに…どうか、幸せになってください。今のぼくの、心からの願い…です、」
 おめでとう、とは、やっぱり云えなかった。
 でも、大好きな兄には幸せになって欲しいと、強く思う。


 今はまだ、ぼくは弱いままで、汚い感情も少し抱いてしまうから、心から祝福はできない。
 彼の幸せを願うことしか、できない。

 だけど、いつかきっと、おめでとうと心から云えるようになってみせる。
 この先の自分が、どう変わるかは分からないけれど、ぼくはそうなりたい。


 ぼくはもっと強く、ならなければいけない。
 大好きな暁芳兄さんの……………弟、なのだから。

「…ああ。…すばる、……ありがとう、」
 優しい声が耳の奥に響いて、目をきつく瞑った。
 泣いて縋ってしまいそうな衝動を必死で抑えながら、ぼくは素早く、おやすみなさいと告げて通話を終えた。

 受話器を戻して歩き出し、堤防上へあがって腰をおろす。
 夜空を見上げれば、無数の星が輝く合間を、また一つ、光が斜めに通り過ぎてゆく。
 まるで、光の粒が落ちてゆくようだ。

 昔、暁芳兄さんと流星群をみていた頃、彼があたえてくれた言葉が鮮明に蘇った。


 ――――どこかの国に、伝わる話なんだけれどね。
 神さまが地上の様子をみるために、天の扉をあけるんだ。
 その時に隙間から洩れた光が、流れ星になるんだよ。
 神さまが扉を開けているあいだは願いごとが届きやすいから、流れ星に祈れば、叶うと云われているんだろうな。
 この時期の流れ星はたくさん見えるだろう。
 祈れば、本当に叶うかも知れないな。
 すばるの願いごとは、なんだ? ほら、祈ってごらん………。


 優しい声が、傍ではっきりと聴こえた。
 誰かをこんなにも愛しく、切なく想い続けたのは初めてで、それはとても嬉しくて、そして悲しい。
 胸の内で感情が強く渦巻いて、涙が、頬を伝って零れ落ちた。

 ぼくの願いは、ただ一つ。
 例え、さびしくても、途方もない切なさを抱いても、それでもぼくは祈っている。


 ――――――世界中の誰よりも、幸せになって欲しい。

 光が降りしきる空の下で、強く強く、祈っている。


 何よりも大好きだったひとの幸せを、ぼくは、ただひたすらに祈り続ける。

 これから先も、ずっと、ずっと―――――。


終。



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