証…2

「組長、田岡です。神山の叔父貴から連絡が入りまして、直ぐにでも会って相談したい事が有るそうです」
「神山か…大方、佐波一家のシマ荒らしを何とかして欲しいとか、下らねぇ泣き言だろう」
「恐らく、そうでしょう。お帰りはいつ頃になられますか、」
 吐き捨てるような嘉島の言葉に田岡は頷き、懐から取り出した手帳を開く。
 連日予定が詰まっている所為で、嘉島は既に三日寝ていない。
 口調も普段より苛立ったものとなっているが、それでも蓮に対しては
 少しでも柔らかい物腰になっているのだろうと、田岡は考える。

「そんな事より、蓮はどうした」
 答えない嘉島の態度にも、田岡は気を悪くせず、一度蓮の方へ視線を向けた。
 ソファ上で膝を抱え、膝頭に顔を埋めている姿が眼に入るが、田岡は声を掛けない。
「少し、お疲れのご様子です。気になさる程では有りませんので、組長は藤橋さんと存分に友情を深めて下さい」
「……云うようになったな、」
 低く鋭い声が受話器越しに響くと、田岡は相手に見えている訳でも無いのにうやうやしく頭を下げる。
「申し訳有りません。しかし組長、藤橋商事は取り込んでおいて損は有りません。あれは良い金ヅルになります」
 田岡の冷淡な言葉を聞いて、嘉島は馬鹿にするように鼻で笑った。
 何か云われるだろうかと田岡は予想したが、短い沈黙が続いた後、通話を切られる。
 どうやら、相当苛立っている様子だ。
 受話器を耳から離して手帳を懐にしまうと、田岡はもう一度だけ蓮へ視線を向けた。

「蓮さん、眠るのでしたら…寝室で寝てください」
 静かな物言いで声を掛けると、蓮はゆっくりと顔を上げる。
 てっきり自分が去るまでそのままかと思っていた田岡は、内心、少しばかり驚いた。
「水槽を見ながら、眠りたいんです」
 蓮の双眸が、青白く光る水槽へと向けられる。
 田岡はそれを追うように水槽に目を向け、続いてゆっくりと頷いた。
「分かりました。では、失礼します」
 深々と一礼し、足早に出入り口の扉へと向かう。
 だが急に立ち止まり、肩越しに振り向いた。
「組長は戻りませんので、誰が来ても開けないようにして下さい。…何が有るか、分かりませんから」
 扉はオートロック式で外側には鍵穴すらない為、解除用のリモコンが無いと外から開けられる事は無い。
 リモコンはソファの向かい側の机上に置かれており、他の誰も、嘉島でさえも携帯していない。
 蓮が内側から操作しなければ、部屋の扉は開かない仕組みだ。

 蓮は何とも云えない魅力が有り、容姿も整っているものだから
 そこら辺の女より魅力的だと、男に興味の無い田岡ですら思う。
 情欲は流石に抱かないが、武闘派揃いの嘉島組の組員は、好奇心や欲求が強すぎる為、最悪な事態も考えられる。
 組長の情人に軽々と手を出す事は無いとは思うが、念には念をと云う田岡の独断で、簡単に人が入れないような扉にしたのだ。

 聞いているのかいないのか、蓮は答えず、黙り込んだままだった。
 田岡は言葉を繰り返さず、扉を開けて退室した。
 扉が閉まると鍵の掛かった音が響くが、蓮はその場から動こうとはしない。
 その身体は、微かに震えていた。

 今日は確かに自分の誕生日で……けれど、だからこそ嘉島に、傍に居て欲しい訳では無い。
 今日は、この日は―――――。
 蓮は思い出したくもない記憶が、じわじわと蘇る感覚に吐き気さえ覚えた。


 嘉島と対立していた菅田に一度拉致され、消えない傷痕を身体にいくつも刻み付けられた
 忌まわしい日が、丁度、1年前の夜。後二時間後で、同じ時間になる。
 だからこそ余計に、一人にして欲しく無かった。
 昼間は一人でも何とか耐えられたが、夕方から身体が震えだして
 フラッシュバックのように、何度も鮮明に記憶が蘇る。

 顔は気に入ったから傷つけるな、と。下卑た笑い声をあげながら告げた、菅田の顔が浮かぶ。
 菅田の組員に殴られて蹴られ、刺されたりもした。
 服を剥ぎ取られて罵られ、下劣な言葉を幾つも浴びせられた。
 男の指が身体中を這い、触られたくない所に触れられた事すら有った。
 あまりの恐怖と屈辱に耐えかねて、舌を噛んで死ねば楽だと何度も考えたが
 その度に、嘉島の顔が浮かんで―――――死ねなかった。

 運良く気を失えたとしても指の骨を折られ、その激痛で現実に戻されたのだ。


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