『 本 』
<読書の秋です。休み時間には、本を読みましょう。>
読書週間が始まり、廊下の至るところに、紙が貼られた。
太字で堂々と書かれた言葉は、
文違の心を縛り付ける。
その言葉だけが特別な訳でも、書体に惹き付けられた訳でも無く。
文違は、校内に貼られた紙に弱かった。
紙に書かれた「規則」や「誓い」などは、小学生から高校2年の二学期―――つまり、今日まで必ず守ってきた。
特別な教育や躾を受けた訳では、無い。現に、紙に書かれた言葉を守るのは、学校のなかだけだ。
校内に貼られた、紙。そこに堂々と書かれた、やけに達筆の言葉。
それらは存在感が強く、文違の目には、まるで脅迫しているかのように映る。
昼休みの廊下で一人立ち止まった文違は、威圧的な言葉を、少し離れた位置から見つめた。
ふだんから本をよく読み、本を大切に扱う質の文違だが、休み時間を使ってまで読む気は無い。
それなのに、校内に貼られた紙の所為で、昼飯も食べないまま図書室に向かってしまう。
どうしても、逆らえない。自分でも嫌になるくらいだ。
零れそうな溜め息を咬み殺し、視線を素早く逸らすと、片手に持っていた書物へ向ける。
朝の10分間読書の時間は、生徒を勝手気ままにさせておくような人間が担任なのだから、騒がしいことこの上無かった。
小説よりも、漫画や雑誌。読書よりも、雑談や仮眠。
文違の目で見た限りでは、まともに本を読む人間は自分と――――隣席の、柿沼だけだった。
柿沼は、いつも漫画か雑誌、もしくは携帯ゲーム機を手にしている。その為、読書とは縁が無い人間だと文違は思っていた。
隣の席にいる所為で、文違は柿沼のことを大抵知っている。とは云っても、褒められない面だけだ。
柿沼は教室の扉を足で乱暴に開けるような、がさつ者だ。不真面目で、授業に欠かさず出席はするが、聞こうとはしない。
1年の頃に停学処分を受けたのは、一つ上の先輩の鼻をへし折ったからだと云う噂も流れている。
髪を赤く染めて、鋭い目つきで睨むようにひとを見るような男だから、そんな噂が立つのだろう。
指定のネクタイをせず、制服を着崩す放漫さも重なって
柿沼とは、そりが合わない。と、文違は今まで決め付けていた。
――――――それなのに。
文違は廊下を進み出し、図書室へ向かいながら、朝の光景を思い出す。
隣席の柿沼は、以前文違も読んだことの有る、小難しくてページ数の多い本を手にしていた。
柿沼のようながさつ者が、あんなものを読めるのか、と。
驚いた文違だったが、ページを静かにめくる柿沼の
指の動きが、あまりにも丁寧で―――思わず、見惚れてしまった。
普段から、壊してばかりで物を大事にしない男の、意外な一面を見て、暫く目が離せなかった。
図書室に足を踏み入れた途端、はっと息を呑んだ。
視線の先に、柿沼の姿があった。
丁寧な仕種で棚から引き抜いた書物を、ひどく優しい眼差しで見、指先で表紙をなぞっている。
あまりにも繊細な指使いは、どことなく、色情的にも見えた。
急激に熱が高まるのを感じた文違は、慌てて目を逸らそうとした。しかし視線は、彼の指に張り付いたままだ。
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