本…3
眉根を寄せ、言葉を続かせようとしたが、視界の端に入った紙へと目が留まる。
<図書室では、静かに。>
此処にも、文違の行動を縛る文字が貼られている。
騒がなければいいだけの話だが、文違にとっては、大きなプレッシャーとなって襲い掛かる。
まるで貼り紙から逃れるように、俯く。それでも、全身に走る緊張感は中々消えない。
急に口を閉ざした文違を見て、生徒の一人が小馬鹿にするように鼻で笑った。
「黙っちまったぜ」
「怖がってんじゃね? かわいそー」
「おい、本を大切にしろっつったよな。お前の言う本って何だよ? これか?」
生徒の一人が、肘で背を小突いて来る。
振り向いた文違を確認してから、床に落ちていた文庫本を、笑いながら足蹴にした。
目を見開いた文違の様子を楽しむように、彼は酷薄な笑みを浮かべ、片足を上げる。
本を、踏みつける気だ。
咄嗟に飛び出し、生徒の肩を両手で押しやった。
油断していたのか、いとも簡単にバランスを崩して、彼は尻餅をつく。
それに見向きもせず、踏まれずに済んだ書物を丁寧に拾い上げた文違は、ほっと息を吐いた。
「てめぇ、ふざけんなよ、来いっ」
起き上がった生徒が肩を力任せに掴み、強引に振り向かせようとする。
そこへ───
「さっきから、うるせぇんだよ、てめぇら」
やけに冷めた声音が、降り掛かった。
文違も含め、声の主へ一斉に視線が集中する。
そこには柿沼が、ひどく煩わしげな表情をして立っていた。
「柿沼…」
ついさきほどまでの態度とは打って変わり、彼らは気まずそうな顔を見せる。
彼らと柿沼がどんな関係なのか、文違には知る由も無い。が、上下関係があることは明白だ。
「や、俺ら何もしてねぇよ?」
「そうだよ、こいつが急にさ…」
早口で返す辺りからして柿沼は、自分が知るよりももっと短気だったのだろうか。
それとも単に、彼らが柿沼を畏れているからか。
胸中で冷静にそう分析していると、生徒の手が漸く肩から離れた。
安堵する間も無く、柿沼の鋭い視線が浴びせられる。けれど文違は、怯まなかった。
面識の無い相手ならまだしも、柿沼は2年になってからずっと隣席にいたのだ。
言葉を交わさずとも毎日顔を合わせて、授業時間だけでも約五時間も隣合わせの相手を、今更畏怖する筈が無い。
その上、先刻の柿沼に欲情した直後とは違い、今は、自分には否が無いと云う信念も有った。
「ああ、おまえ、文違か。…こいつ、俺の知り合いだから。もう行け、邪魔だ、てめぇら」
文違の真っ直ぐな視線をやんわりと流し、生徒の一人に目を移した。
顎をしゃくって促すと、生徒達は物言いたげな顔をしながらも渋々立ち去る。
「…いーのかよ?」
「仕方ねーじゃん。柿沼、ボクシングやってっから強えーし」
「ありゃ勝てねぇもんな…それにオヤジ、ヒトゴロシだろ。怖ぇよ」
廊下から悔しげな声が響いて、徐々に遠ざかってゆく。
何となく、彼らの声に聞き入っていた文違は、妙な言葉に引っ掛かりを覚えた。
「あいつら、後で蹴っといてやるから」
聞き間違いかと訝っていると、今度は冷ややかな声が続く。
改めて、柿沼のほうへ向き直った。
「そこまでは、しなくてもいいんじゃ…?」
「おまえには言ってねぇよ」
より一層、冷めた声が掛かる。
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