本…7

 たった一人に蔑まれるだけなら、まだいい。
 言いふらされて奇異な目にさらされるのだけは、避けたい。
 キスの余韻で鈍ったままの頭を何とか働かせ、解決策を練っている文違の名を、低い声音が呼ぶ。

「おまえ…へたくそだな、キス」
「……あんなの、今までしたことがない。」
「そっち方面は完全にガキってコトか、青臭ぇな。……なあ文違、俺な、本が一番なんだ」
「それは…さっき聞いた。二番目は無いんだろ、」
「ああ。だけど気が変わった。おまえだったら特別に、二番目にしてやってもいいぜ」

 言葉の意味が理解出来ずに、口をぽかんと開け、文違は阿呆のような表情を見せた。
 堪らずに、柿沼が可笑しげに笑う。
 素早く口元を引き締めた文違は、乱れた襟を直しながら咳払いを一つ。

「二番目って…本を、」
「まさか。本は死ぬまで、俺の一番に決まってんだろ。おまえ、理解力も足りねぇのな。特別に二番目を作って、そこにおまえを入れてやっていい、って云ってるんだよ」
「意味が分からない。」
 正直に言葉を紡ぐと、柿沼は呆れた眼差しを向けて来る。
 続いて、自分が折れてやるとでも言いたげに、肩を竦めた。

「俺の恋人になれよ、文違」
 直球的な言葉で、漸く理解したが、本気だとは捉えていない。
 柿沼よりも、もっと大袈裟に肩を竦めて見せた。
「嫌です。お断りします、」
 わざとらしく敬語まで用いれば、柿沼は眉を吊り上げた。
 憮然とした表情に変わったのを見て、よもや本気だったのかと、文違は内心ひどく驚いていた。

「理由を言えよ」
 凄んだその声音で、文違は確信した。
 本気で、柿沼は恋人になれと言っているのだ。

 だが、恋愛とは無縁の日々を過ごして来た文違からすれば、実感が湧かない。
 ましてや、同性が恋人になるなど、真面目に考えられる筈も無かった。

「先に言っとくが、同性に興味ねぇってのは通用しないぜ。おまえ、さっきちゃんと反応してたしな」
 逃げ道を先に塞がれ、文違はまごつく。
 数秒ほど泳がせた目を、緩やかに伏せた。

「柿沼とは、本を大切にしていること以外に共通点が無いし。そんな相手と一緒に居ても、つまらない。それに…、」
 一度息を吐いてから、柿沼へ視線を合わせ、真っ直ぐに見つめる。

「おれには柿沼を好きになる理由がない。」
「…良く言うぜ。俺の指に欲情してた癖に」
 痛いところを突かれて言い返せず、文違は眉間に皺を刻む。すると、柿沼が肩にそっと触れて来た。
 ほぼ無意識に横向き、その指に見入ってしまう。

「文違、俺と付き合えば好きなだけ触ってやるぜ」
「それは…正直、揺らぐけど…でも、理由が、」
「理由なんか、後付けでいいじゃねぇか」
「そう云うわけには行かない。恋人って、そんな軽いもんじゃないだろ、」
「…一つぐらい、ねぇのかよ?」
 苛立った口調で問われ、文違は少し思案した後、かぶりを振った。
 柿沼が、大きく舌打ちを零す。

「…嫌いなところは、増えて行くんだけど。その舌打ちとか、」
 もう一度、舌打ちが響いた。
 眉根を更に寄せた文違を見て、諦めたのか、柿沼は踵を返して離れて行った。

 大分距離が開いたのを見計らい、柿沼の名を呼ぶ。
 声量を抑えた所為で届かなかったのだろう。気付く素振りは無い。
 距離は、どんどん伸びる。それを確認した上で、再度口を開き───

「柿沼の、本を大切にしているところは好きだ。」
 まるで気付かれなくてもいいとばかりに、いっそう控え目な声を出した。

 届かなければ、それまでだ。別にそれでも良い。
 あの自己中心的な柿沼を喜ばせ、彼の望み通りになるのには、些か抵抗が有る。
 柿沼に対して自分は、かなり捻くれているなとも、思う。

 文違の言葉が届いた様子も無く、柿沼は振り返らずに出て行った。
 荒い足音に続いて図書室の扉が開き……そして、閉まる音が反響する。



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