盛夏…02


 頭上からは蝉の声が、まるで大雨のように降り注いでいる。
 これでは、沈黙を武器にして春を咎めることも出来ない。

 たかがこんなことで手をあげる訳にもいかず、悶々としていた。
 その様子に気付いている春は、かわいいなと、宏孝を見つめながら呑気に考えている。

「うあーっ! くそっ」
 突如、状況に耐え切れなくなったのか、宏孝は大声をあげた。
 瓶の蓋を閉め、素早く身体を倒して春の膝上へ頭を乗せ、寝そべる。

「おまえってホント、いいヤツそうに見えるのは顔だけな。この変態、」
 悔しげに悪態をついたが、春は反省するそぶりも見せない。
 ただただ嬉しそうに、宏孝の髪へ指を通して梳く。
 繊細な動きで、指が通る感触が心地いい。思わず、目を細めた。
 直後、聞き覚えの無い声が耳に届く。

「あの茶髪、眞邦(まくに)だ…やっべぇ、戻ろうぜ」
「なあ、一緒に居んのって2-Aの王子サマじゃね? なにあいつら、デキてんの?」
「やめとけって、眞邦怒らせっと怖ぇーし。マジやべぇから。今日だって暴れたらしいぜ、教室で」
 少し離れた先で、同学年の男子生徒が二人、此方を窺っている。
 一人は、宏孝を良く知らないのだろう。挑発的な姿勢を崩そうとしない。

 ゆっくりと頭を上げ、身体を起こした宏孝の表情が、険しくなる。
 鋭い双眸で睨むと、か細い悲鳴が上がった。
 挑発的だったほうも、一瞬だけたじろいだものの、直ぐに鼻で笑う。
「確かに迫力有るけど、それだけっぽくね? 噂ほどじゃねぇし。なー、マクニ、おまえってホモ? なんつってー」
 と、げらげら笑いだす。
 すかさず、宏孝はその場を駆け出した。

 俊敏な動きで接近したと同時に胸倉を掴んで引き、顔面目掛けて頭突きを繰り出す。
 大分加減をしたのか、生徒は鼻を押さえて呻いたが鼻血を出しただけだ。

「なんつってじゃねえよ…ざけたコト言ってっと次は鼻の骨砕くぞ、ああ?」
 怒りの形相で凄むと、その迫力に圧倒された二人は言葉を失くし、さっと青ざめた。

「…おい、早く連れてけよ。目障りだ」
 立ち尽くし、震えている生徒に声を掛ける。
 彼は慌てた様子で、鼻を押さえている青年を支えるようにして歩かせた。
 一刻も早く立ち去りたいのだろう。急いた足取りで、宏孝との距離を開いてゆく。

「ちくしょう…何だよアイツ、イカレてんじゃね?」
「だから言ったろ、眞邦はやばいって。マジ、骨砕かれちまうって。マジでホントに、やべぇんだよ」
 大分離れたが、二人の会話は宏孝の耳に届いていた。
 しかし追い掛ける気は、微塵も無い。
 やり返して来ない相手を殴り続けても、ただの弱いもの苛めにしかならないと判断しているからだ。

 踵を返して春のもとへ戻ると、先刻と同じように膝を枕にして寝そべった。
 春は別段気にした様子も無く、宏孝の、きれいに染まった髪を再び撫でる。

「暴れたって、どんな風に?」
「……なんでだよ、」
「ヒロちゃんのことなら、何でも知りたい。クラスも違うし、」
「…机蹴って、椅子振り回してガラス割った。ムカついたから、やった」
 鼻に掛ける様子も無く、当たり前のように答える。

「なにがそんなに、ムカついたの?」
「……登校拒否ってたヤツ、今日来たんだ。終業式だからって。なんか、ペットが死んだショックで休んでたらしい。
それで女共が集まって、そいつに聞こえるように悪く言いまくって…たかがペットとか、身内に死なれた自分のほうが辛いとか、うぜぇコトまで言ってっから。」
 一度言葉を区切り、深く息を吐く。
 ちらりと春の顔を覗き見たが、相変わらず優しい表情のままだった。



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