盛夏…04
「あ…あの、あの、ごめんなさい、ごめんなさい」
「なに謝ってんだ。さっさと答えろよ」
「え、…ジュ…ジュウシマツ、です」
「ジュウシマツ? 松の木か何かか?」
「木じゃなくて…その……鳥、です」
俯いた彼女に、ぼそぼそと小声で返される。
知識の浅い自分を恥じた様子も無く、宏孝は一瞬ばかり片眉を上げた。
「へえ、鳥か。そんな鳥もいるんだな。…なあ、あんたさ。そいつのこと好きだったのか?」
質問が意外だったのか、彼女は目を丸くした。
意図を汲み取れず、恐る恐ると云った様子で小さく頷く。その間も、宏孝を見つめたままだ。
「あたしの、友達だったから……でも、勉強に集中してから世話は親に任せっきりで…全然構ってあげられなくて…。
こんなに早く死んじゃうなら、もっと大切にすればよかったって…後悔ばかりで」
後悔の念が強いのだろう。
たどたどしく紡がれる言葉が、時折途切れ、声が震えだす。
しかし宏孝は慰める気配も見せず、苛立たしげに舌打ちした。
「俺、あんたの泣き言聞きたいワケじゃねえんだよ。慰める気もねーし。」
もう一度響いた舌打ちに、彼女の肩がびくりと震える。
それを興味無さそうに見送ってから、宏孝は一度、浅く息を吐いた。
「ただ、さ。ジュウシマツのコト好きだったんなら、謝るより、ありがとう、だろ。
いいものが沢山生まれるから、好きって感情は尊いモンなんだ。だから、大切な感情を教えてくれた存在には、最大級の感謝を。
…これ、俺の大切なヤツが言ってくれた言葉。あんたにも貸してやる」
一方的に喋った後、相手の返答には興味無い様子で踵を返し、その場を離れてゆく。
彼女は、何度か口を開き掛けるも結局呼び止められず、
ただひたすら、宏孝の背を見つめていた―――。
「どうして、あげるじゃなくて貸すにしたの?」
春の顔は、嬉しそうに緩みきっている。
王子、と女子生徒から騒がれているほどの端整な顔つきが、今は見る影もない。
宏孝にいたっては羞恥のほうが強く、指摘してからかうことも出来ずにいた。
「…うるせーよ、」
そんな短い言葉を返すだけで、精一杯だ。
頬だけでなく、耳のほうまで熱くなっているのが自分でも分かる。
向きを変えて横向きになり、赤らんでしまった顔を見られないように努めた。
「教えてよ、ヒロちゃん」
声が弾んでいる。それが更に、宏孝を追い詰める。
「ヒロちゃん。ねえ、……ヒロ、」
上体を屈めた春が耳元で、低く名を呼ぶ。
僅かに、宏孝の肩が上下した。春の胸元に手が触れ、強く、押し返して来る。
距離が開くと、宏孝は勢いよく起き上がり、自分の鞄を引っ掴んでベンチから離れた。
「っるせぇなァ…決まってんだろ。ヒトに易々とやれるほど、安いモンじゃねーからだ」
振り返らず、背を見せたままで半ば怒鳴るようにして答えた。
彼なりの言葉で、春のことを好きだと言っている。
端整な顔が、これ以上ないほどに緩んだ。
春がどれほど嬉しそうにしているかを、充分理解している宏孝は振り返らずに進み出す。
その後を、春が急ぎ足で追った。
家をあけることの多い両親を、親と呼ぶのも躊躇われる宏孝にとっては
愛犬のチロは、家族よりも遥かに大切な、特別な存在だった。
だからこそ、いっしょに駆け回った庭は、今は見るかげもない。
チロがいなくなった翌日に、庭の土を端から端まですべて、掘り返したのだ。
テニスコート2面分ほどの、広い庭。
陽が沈んだ後も、たったひとりで―――喚き散らしながら、めちゃくちゃにした。
ジュウシマツを失った彼女の件と、夏の陽光にあてられたのもあり、宏孝は嫌なことを思い出した。
かぶりを振ると、隣に並んでいた春が手を伸ばし、髪に触れて来る。
それを煩わしげに払ってしまうほど、苛立ちは強まっていた。
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