楽園…14

 足を運んだことの無い街に着くと、小鳥遊は物珍しそうに周囲を見回す。
 まるで子供のような反応だと梓は思うが、呆れることも無く、心は和やかだ。

「此処ら辺は、初めてですか、」
 声を掛けると、小鳥遊は我に返ったかのように見回すのを止め、微苦笑した。
「知らない街には足を運ばない質でね。すぐに迷う、」
「迷うのも、たまには面白いですよ。迷っている内に、いい店が見つかる時も有りますから、」
「それは面白そうだ。でも体力が続きそうにないな。…いや、この場合は精神力か。出口が見つからないまま彷徨うのは、精神的に参ってしまいそうだよ、」
「確かに、そうですね。おれも、長時間迷ったりしたら気力が持ちません。」
 微笑しながら答える梓へ小鳥遊も笑い返し、他愛の無い会話をしながら歩き進む。

 駅から十数分掛けて歩くと、いくつかの飲食店が並ぶ通りに出た。
 何処の店も看板の照明は眩しく、店内からの明かりも外に漏れていたが、一つだけ違う店があった。
 煉瓦の階段が数段続いている入口を、外灯の、淡い橙色の光が照らしている。
 他店が目立っている所為で、こぢんまりとしたその店だけが
 逆に浮いて見えるが、小鳥遊は控えめなその店の方に好感が持てた。

「あすこです。外観は暗い感じですが、中は綺麗だし料理の味もいい。」
「それは愉しみだ。…ああ云う雰囲気の店、私は好きだよ、」
 店を指し示した梓に頷き返し、上機嫌な口ぶりで云う。
 それに安堵し、小鳥遊を連れて店の扉を開け、中へ入っていった。

 シンプルな造りの店内は照度が押さえられ、淡い明かりが灯っている。
 客の姿はまばらだが、席数が少ない所為で大半が埋まっていた。
 奥に空席を見つけた梓は、小鳥遊を促して先に座らせ、続いて自分も座した。
 ウェイターが直ぐに水の入ったグラスを運んで来て、梓と小鳥遊にメニューを手渡す。
 一度ウェイターを下がらせた後、梓は小鳥遊に声を掛けた。

「小鳥遊さん、嫌いな食べ物は有りますか?」
「一応、何でも食べられるよ。辛いものも、いける。…梓くんは?」
「おれは甘いものが少し苦手です。朝頂いた珈琲、無糖で助かりました。」
 メニューを眺めて嬉しそうに告げる梓から、小鳥遊は中々目が離せなかった。
 梓の喜ぶ姿は何度見ても、魅力的だと強く思う。

「…小鳥遊さん、そんなにおれの事を見ていたら、周りの人に誤解されてしまいますよ、」
 不意に視線を上げた梓が、少し口元を緩めて揶揄した。
 梓と目が合っただけで思考が止まったが、直ぐにはっとし、慌てて周囲へ視線を走らせる。
 が、此方を見ている客は一人として居なかった。
 隣席との距離が大分有るのと、静かなジャズが流れているのもあってか、梓の揶揄が聞こえた様子も無い。
 安堵の息を零した小鳥遊の様子に、堪え切れなくなった梓が小さな笑い声を立てる。

「小鳥遊さんって、何だか可愛いですよね。」
「それは、男に向けて云う言葉じゃないだろう、」
「同性に対して言う男はあまり居ませんが、女性なら、良く言いますよ。」
「…私は、言われても嬉しくは無いな。」
「それなら謝ります。…おれは、可愛いとか綺麗だとか言うのも、言われるのも好きなんだ。 そういう言葉って、好意が十分判りますから。」
「梓くん…それは、つまり…私を好きだと云っているのか、」
「はい。おれ、小鳥遊さんのこと好きです。」
 きっぱりと返すが、小鳥遊の返答は無かった。
 瞠目し、表情も少し硬くなってしまった小鳥遊を見て、胸中で苦笑する。
「好きと云っても、恋愛感情じゃないので安心してください。」
 続く言葉を耳にした小鳥遊のなかで、何かが急速に落ちてゆく。
 それが安堵感なのか、それとも残念な気なのか、自分でも分からない。

 だが――――。
 自分は、あくまで普通の人間で、同性愛者では無いのだから
 恋愛の対象として見られていない事を、残念に思う筈が無い、と。
 そう決め付けることで深く考えるのを放棄し、梓に頷き返したのち、メニューへ目を通す。
 視線は無意識に、値段の方へ向かった。

「おれ、自分の分は払えますから気にしないでください。」
 素早く気付いた梓が柔らかな物言いで声を掛けるが、小鳥遊はかぶりを振る。
「梓くんの分も、私が払うよ。…こんな事ぐらいしか思いつかないが、何かをしてあげたいんだ。」
 梓の顔にくっきりと残った痣へ、視線が注がれた。
 それに気付き、目を逸らした梓が、呟く。

「……同情、ですか。」
 整った顔は不機嫌さを色濃く浮かべ、眉まで顰めだす。



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