楽園…29
思案している小鳥遊の視線の先では、背広の隠しから万年筆を取り出した透冴が、用紙に走り書きをしている。
「何処に何が有るかは把握しているんです。口は挟まないで下さい。……それと、此れ、梓が客と良く入るホテルの住所です。」
傍らまで戻って来ると、用紙を差し出してくる。
そこには三つの住所が書かれてあり、何れも同じ歓楽街のものだ。
「あの界隈か…、ニュースで観た事が有る。」
「ええ。あすこでしたら、どのホテルも、男同士で入れますからね。」
「普通は、入れないものなのか、」
若干躊躇いがちに尋ねたが、透冴は首を縦にも横にも振らず、微苦笑するだけだった。
その反応を見て、不躾な質問だったと考えた小鳥遊が、慌てて頭を下げる。
「す、すまなかった。私は自分でも気付かない内に、失礼な事を言ってしまう…、」
「…本当に、調子が狂う。俺は、貴方にセックスを強要したんですよ。そんな相手に頭を下げるなんて…もっと警戒して貰わないと、自信を失いそうだ。」
声のトーンも下げずに、透冴は軽い調子で云う。
その所為で本心なのか冗談なのか判別がつかず、小鳥遊は困惑げに黙し、用紙に書かれた住所を目でなぞった。
そこへ、すかさず透冴の声が掛かる。
「夕方過ぎから待ちうけていれば、その内出逢えると思いますよ。梓は、客を切らした事が有りませんから、」
「……何だか、ストーカーみたいだな。梓くんは、ひいたりしないだろうか、」
「隠れて追い回す訳じゃあ無いんですから、ストーカーにはなりませんよ。……それに梓も、嫌がらないだろうしな。」
最後の言葉は、声がひどく小さかった所為で、聞き逃してしまう。
何を云われたのか気になり、怪訝そうに眉を寄せたが
透冴は一向に口を開かず、ただ、にこやかに微笑むだけだった。
3月の半ばになっても、寒い日は続いていた。
予約客との待ち合わせ場所へ向かう為に電車へ乗り込んだ梓は、憂鬱な気分を拭いきれない。
監禁され、大分日が過ぎていると思っていたが実際は短く、十日ほどだった。
しかし衰弱の所為で入院が長引き、結果的に、ハルユキの誕生日は過ぎてしまった。
肝心の土屋は、あれ以来、姿を見せない。
隅の扉横へ立った梓は、ぼんやりと窓の外を眺める。
車両の揺れに浸りながら、梓は地下室から出た日のことを、思い返していた。
あの日、首を絞められて意識が途切れ、次に目を覚ました時には、地下室の扉が開け放してあった。
土屋の姿は無く、小鳥遊に逢いたいと願う一心で部屋を出て
這うようにして階段をのぼった先で、店のスタッフに発見され――――再び、意識は途切れた。
次に気が付いた時は、病室のベッド上だ。
以前、土屋に骨を折られた時に運ばれたところと、同じ病院だった為
傷や痣、火傷の痕などの理由を医師に訊かれる事は先ず無かった。
スタッフの青年は、ずっと付き添っていたらしく、梓が目覚めるなり頭を下げて謝罪した。
訝る梓に深々と頭を下げたままで、わけを話した。
「オレ、休みの日にキョウヤを見かけたんだ。誰かと一緒に歩いていただろう、それで…
土屋さんに何気なく話したら…あの人、すげぇ剣幕になって…
オレ、キョウヤがあの日、仕事さぼってたなんて知らなかったんだ…、」
震えた声を出し、何度も謝罪する相手に、梓は怒りも恨みも抱かなかった。
ただ、強烈な倦怠感と疲労が、心身を苛んでいた。
「こんな事になるなんて…こんなの、犯罪だろ、あの人…おかしいよ、」
「…そう思う、なら…辞めれば、いい…、」
掠れた、弱々しい声を零すと、青年はようやく顔を上げた。
「頃合いを見て、辞めるよ。キョウヤは…続けるのか、こんな目に遭っても、」
説得に近い質問を浴びても、梓は首を縦にも横にも振らず、沈黙を守る。
それをどう捉えたのか、青年は沈痛な表情を見せ、再び頭を下げた。
「キョウヤ、本当に、ごめんな。」
何度謝っても足りないと云うように、謝罪する。
それをやめさせた上で、梓は少し眠りたいと口にし、相手を退室させた。
しんと静まり返った病室内で、天井を暫く眺めていたが、やがて緩やかに瞼を閉じる。
指先すら動かすのも怠く、身を起こす事すら出来無いが
心は、今すぐにでも病室を飛び出したい衝動に、駆られている。
小鳥遊に逢いたいと、強く、願っていた。
――――けれど。
彼を好きだと気付いてしまった今では、もう、逢えない。
自分が傷付かぬよう、また逃げ回るしか無いのだ。
小鳥遊の姿を脳裏に浮かべ、切なさを胸に抱きながら
安らぎを求めるように、梓は眠りにおちた。
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