楽園…31
「久我山さん、意外と…筋肉質なんですね。」
「ああ、鍛えているからね。僕は、相手を無理に組み伏せるのが好きなんだよ」
「久我山さんのような人になら、乱暴にされても本望です。」
危うげな科白を吐かれても動じず、梓は微笑を崩さない。
すると、久我山の物言いが、先刻よりもずっと親しげなものに変わりだした。
「僕も、キョウヤなら恋人にしたいぐらいだ。」
「そんな事を云われたら…本気にしてしまいますよ、」
「してくれて構わないよ。僕はね、キョウヤを心底、気に入っているんだ。ずっと、抱きたいと思っていた、」
「それなら、もっと早く指名してくれれば良かったのに、」
梓は嬉しげに返し、相手の上膊部へ顔をすり寄せた。
甘えるようなその仕種に、久我山の喉がごくりと鳴る。
「そうしたかったんだが……あの子が、どうしてもと云うからさ。」
欲をはらんだ、上擦った声が耳に届くと、梓は顔を離して眉を顰める。
「…あの子?」
「ほら、あの綺麗な子。ユキトくん、」
久我山の口から、予想もしなかった名前が零れ落ちる。
それは、あの店で、ハルユキが使っていた名だ。
思わず足を止めて立ち尽くした梓の耳に、久我山の低い笑い声が響く。
「確か、きみの恋人だったよね。もう何年も経っているから覚えていないだろうけれど…僕は、きみを忘れたことは無かったよ。」
たどたどしく、久我山に視線を合わせてみれば、真意の推し量れない暗い眼差しが向けられている。
瞬間、血の気が引いた梓の脳裏に、ハルユキと初めて出会った日の記憶が浮かび上がった。
今まで、まったく気付かなかったが……
久我山は、あの日、声を掛けて来た男に間違いなかった。
打ち驚いた梓は微かに硬直し、騒ぎ始めた心を静める為に息を吐く。
「貴方、だったんですか…、」
「思い出してくれたのか。嬉しいなあ、」
上機嫌なその口ぶりが、却ってひどく不気味だ。梓の背に、ぞくりと嫌な寒気が走る。
―――――ヤツのセックスは暴行だ。殴りながら犯す。
ハルユキが、あの日教えてくれた言葉が………久我山の性癖が、頭の中で響いて消えた。
そう云った性癖を持つ相手なら、傷痕の残った身体を前にしても、退きはしないのだろう。
傷痕の所為で客を満足させられないかも知れない、と云う梓の不安は、無くなったも同然だ。
しかし今は、別の不安が梓の胸中で強く渦巻いていた。
まるで、それを見抜いているかのように、久我山は勿体ぶった様子で唇を舐め、目を細めて見せる。
口元には、下卑た笑みが浮かんだ。
「彼ね、キョウヤだけは指名しないでくれって何度も僕に頭を下げたんだ。かわりに自分を指名してくれって云うものだから、僕も遠慮はしなかった。
………あの綺麗な顔が、苦痛で歪んでゆく様は、とても好かったよ。」
男の、満足げな声が、梓の耳に入り込んでくる。
衝撃的な事実に、梓の心は大きく揺れた。
梓の瞳が見開かれ、脳裏にはハルユキの笑い顔が色濃く浮かぶ。
それに白い靄が掛かりだし、彼の温かみのある笑顔は、次第に曇ってゆく。
ハルユキの表情は、曇ってはいけない。曇らせては、いけないのだ。
それなのに―――――。
(ハルユキが…おれの、かわりに、虐げられていた?)
突きつけられた真実が、心を切り裂き、身体の内側から梓に強烈な痛みを与える。
項垂れ、唇を固く結んだまま動けずにいる梓を、久我山は気遣う素振りも無く、強引に歩かせた。
「恋人が殴られるのだけは、いやだったんだろうね。愛、ってヤツかな? きみが店を辞めていれば、彼は苦しまずに済んだのかも知れないのに……ねえ?」
愉快そうに笑い、語尾をあげて責める久我山の態度から、梓は何とか悟ることが出来た。
ハルユキが、自分にとっては何よりも大切で、特別な存在だと云うことを―――――この男は、知っているのだ。
恐らく、土屋から聞かされているのだろう。
何とかそこまで思案した梓は、漸く、土屋が客をとった意味を理解した。
土屋があの日、この命を奪わなかったのは………もっともっと、苦しめたいからだ。
痛めつけて、もう立ち上がれないぐらい傷つけたいのだ。
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