楽園…35
それまで、己の想いを言葉にするタイミングを逃していた小鳥遊は、意を決して一度深呼吸した。
「救っているかは、全然自信もないけれど。私は…その、君を、す……す、す、好き…なんだ」
つっかえてしまったが、精一杯の想いを込めて伝えた。
梓は何を言われたのか分からないと云った様子で目を丸くしたが、遅れて意味を理解し、徐々にその顔は強張ってゆく。
「何を…冗談は、やめてください」
「わ、私は、冗談なんか言っていない…本気なんだ」
「……だったら、きっと混乱しているか、勘違いしているだけです」
「梓くん、そんな風に決め付けないでくれ。信じて欲しい」
あまりにも切実な物言いに、梓は口を噤んでしまう。そこへ、今度ははっきりと、小鳥遊の言葉が掛かる。
「君のことが本気で好きなんだ」
真っ直ぐな言葉が、心の奥にじわりと沁み込んでゆく。
その心地よさにすべて預けてしまいたい衝動に駆られたが、梓は何とか踏みとどまった。
(小鳥遊さんは普通のひとだ、ヘテロだ。信じられる訳が無い)
瞼をきつく閉ざしてから、信じられないのではなく、信じたくないのだと気付く。
信じなければ、傷付かなくて済むからだ。
守りに徹している自分自身を見つめ直し、本当にそれでいいのかと、梓は自問する。
見れば、小鳥遊の顔つきは真剣そのもので、到底嘘を吐いているようには見えない。
傷付きたくないが為に、小鳥遊のその気持ちを逆に傷付けていいのかと懊悩する。
だがやはり、全面的に信じることは今の時点では出来ず、梓は浅く息を吐いた。
「……それなら、確かめてみましょう」
「た、確かめる?」
梓の返答をじっと待っていた小鳥遊が、予期せぬ事態にうろたえた。
胸中を見れる訳でもないのに、どうやって確かめるのかと、疑問符を浮かべる。
そんな小鳥遊に梓は一言、
「おれの後について来て下さい」
そう告げ、握ったままの手を引いて促した。
ホテルの一室で、小鳥遊はただただ呆然としていた。
ぽかんと口を開いて立ち尽くす小鳥遊の前で、梓は恥じらいもせず服を脱ぎ捨てて裸体をさらす。
無駄な贅肉が一切無く、引き締まった体躯。その滑らかな肌には無数に、痛々しい痣や傷痕が残っている。
思わず目を逸らした小鳥遊の手を取り、己の胸板へと導いた。
ふくよかな乳房が有る訳でもなく、小鳥遊は違和感を覚えずにはいられない。
「ま、待ってくれ……梓くん、」
「抱くのが嫌なら、おれが貴方を抱いてもいいんですよ」
どちらでも可能な梓は平然と言い、掴んでいた手を離した。
そのまま力無く下がった手に、小鳥遊は視線を逃してから、やがてゆっくりとかぶりを振る。
「やめよう、こんな事は」
「肌を重ねるなんて、吐き気がする……おれが男だから。そうでしょう?」
直視してこない小鳥遊の様子に、梓は諦めたように笑った。
「やっぱり気の迷いだったんですよ、貴方は普通のひとだ」
服を拾うと、梓は事務的な動きで着て、帰り支度を始めた。小鳥遊は無言のままだ。
項垂れている小鳥遊を暫く見つめてから、梓は一瞬、切なげに眉を寄せた。
素早く身をひるがえし、小鳥遊に背を向ける。
「おれとは、もう逢わない方がいい。貴方は奥さんの隣にいるべきだ。普通の生活を、するべきなんだ」
小鳥遊にではなく、自分自身に言い聞かせるように、梓は淡々と言葉を紡ぐ。
そして一度も振り返らず、部屋を出ていった。
一人でホテルを出た梓は少し進んでから立ち止まり、ようやく後ろを振り返る。
小鳥遊が追って来る気配は無い。
梓の心を半分安堵させたが、もう半分の期待感は、静かに崩れ落ちてゆく。
「……馬鹿だな、おれ」
結局、期待していた自分に苦笑いが零れた。
こうなるのは分かり切っていた筈なのに、確かめることまでして。
自分で自分を、追い詰めたに過ぎない。
溜め息を零し、俯いた梓の耳に、呼び声が響いた。小鳥遊とは別の、もっと低く、他人を見下しているような声音。
驚いて顔を上げると、正面の道路に高級車が一台、停まっている。
車体に寄りかかっていた男は、口元を緩めながら近付いて来た。
「土屋…さん…」
震えた声で相手の名を呟き、なぜ此処に居るのかと思案する。
久我山の顔が脳裏に浮かび、おそらく彼が店に苦情を入れたのだろうと判断した。
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