楽園…37
「ただ、なんです?」
「あいつが死んだ理由、それはお前の存在だ」
「どういう…こと、です…か…」
梓はもう平静ではいられなかった。
声を震わせ、不安と困惑が入り混じった表情で土屋を見つめる。
満足げに土屋は目を細め、あの夜の―――ハルユキに呼び出された日の記憶を、呼び覚ました。
夕方から降りだしていた雨は止んだものの、夜空は雲に覆われていた。
月明かりが差し込まない山道は真っ暗で、不気味だ。
霧が少し煙っている山道を車で進み、目的の駐車場に着いた土屋は苛立たしげに時刻を確認した。
腕時計の針は、二十六時を示していた。
深夜に山道へ呼び出されたところで、応じる筈の無い土屋だったが、相手がハルユキとなれば話は別だ。
ハルユキとは、梓を巡って衝突する事が多々有った。
土屋にとってハルユキは、唯一、無視出来ない人物だった。
近付いて来た青年が、運転席側の窓を軽くノックする。
すぐに身を引く様子からして、車から降りろと促しているのだろう。土屋は黙ってシートベルトを外し、外へ出た。
「ほんとに来てくれるんだものな、土屋さん」
「……敬語ぐらい使え」
云ったところで聞かない相手だと分かっていながらも、土屋は命令した。
しかし綺麗に整った顔は表情を変えず、微笑んだままだ。
土屋のペースに釣られたことなど一度も無い。
「電話で言っていたな、アズサの件に片をつけると。どういう事か、聞かせてもらおうか」
懐から取り出した煙草を咥えると、ハルユキがすかさず火を点ける。自然な所作だ。
だが、へりくだってはいない。ハルユキは土屋を、上にも下にも見ていなかった。
「土屋さんは梓が欲しい、ぼくは梓を自由にしたい。それで対立していたけれど、そろそろ終わりにしようかと思って」
「お前が諦めるのか、アズサを」
「まさか」
「……なら、俺に諦めさせるつもりか?」
「とんでもない」
要領を得ず、土屋は眉間に皺を刻む。
掴みどころの無いハルユキは、相変わらず微笑んでいる。
そんな態度が気に入らず、煙草を吐き捨て、雑に踏みつけて火を消した。そうしてから、ハルユキを睥睨する。
「何を企んでいる」
「土屋さん、賭け事が好きなんだろ。ぼくと勝負しようよ」
「……勝負、だと?」
「そう。ぼくは此処から頂上まで向かう。20分で辿り着けたら、ぼくの勝ち」
「馬鹿な、30分は掛かるだろう。無謀もいいところだ」
「だから勝負になるんだよ。ぼくが勝ったら、梓を自由にしてもらう。梓は誰にも縛られちゃいけないんだ。あんたにも、ぼくにも」
ハルユキの表情から、笑みが消えた。
今まで微笑みを絶やさなかったハルユキが、初めて真剣な顔つきで土屋を見ている。
覚悟を決めているハルユキを前に、土屋は目を細めた。
(こいつ……死ぬ気か?)
彼の正気を胸中で疑いながらも、不利な勝負に挑もうとするハルユキに半ば驚嘆しつつあった。
「いいだろう、面白そうだ。やってみろ。ただし、俺はお前の後ろからついてゆく」
「……まあいいさ、構わないよ」
近道を使うなどと云うイカサマをさせない為でもあったが、プレッシャーを掛ける意味も含めていた。
それを理解していながらハルユキは頷き、傍らに停めていた単車へ軽々と飛び乗った。
「土屋さん、あんた前に…梓に言ったね。誰とでも寝るような奴は、捨てられて独りになるって。でも、ほんとうの独りぼっちっていうのは、あんたのことだよ。誰ひとりとして想ってくれない、孤独こそが、ほんとうの独りぼっちだ。梓は孤独にはならないよ、ぼくがいつだって、何処からだって、想ってるから」
ヘルメットではなくゴーグルを装着し、慣れたキックでエンジンを始動させる。
キックスタートで発進した単車は、暗闇の中へ消えてゆく。急いで車に乗り込んだ土屋が、その後を追う。
ものすごいスピード、そして無茶な運転だった。
(飛ばし過ぎだ、死ぬぞ)
急カーブをスピードも落とさずに通過する荒業に、見ている土屋のほうが胆を冷やす。
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