かけひき…2

「冬希…ユウちゃんに会ったら、声掛けてあげてね」
「……なんで」
 またしても叔父の名を出され、無意識に不機嫌な声を零してしまう。
 母親は目線を下ろし、少しばかり言い淀んだのちに、口を開いた。

「ユウちゃんね、つい先日、会社やめさせられたの。それが原因で、離婚したって聞いたから。ユウちゃんって落ち込みやすいし…変な気起こさないと良いけど」
「ああ…落ち込むと、すげえうぜーよな。あのひと」
 棘を含んだ口調で返したが、脳裏には頼りない叔父の姿が浮かび、少々気がかりになる。
 あの情けなく弱気で、落ち込みやすい叔父なら、そんな不幸が重なれば自殺しても不思議ではないな、と思う。

「昔は祐一、そうじゃなかったんだけどな。冬希も、祐一にベッタリだったろう」
 母親の後ろで、父親が居間から顔を出し、口を挟んだ。

「ガキの頃の話だ、いまは違う。…それじゃ行ってきます」
 昔の話題には触れられたくなくて、素早く背を向け、扉に手を掛ける。
 そこへ、念押しのごとく、母親の言葉が掛かった。
「おねがいね、冬希。会ったら声掛けてあげてね?」
「……あのヒトって駄目な大人だし。そりゃ奥サンにも逃げられるだろーな」
「こら冬希っ」
 母親の咎める声が響くと、冬希は振り返らずに家を飛び出した。



「声かけるっつっても…」
 橋の上で気だるげに前髪を掻き上げ、溜め息を吐く。
 仲が良かったのは昔の話で、今は言葉を全く交わさなくなった相手に、どう声を掛ければいいのか。
 最後に叔父を見かけたのはいつだったっけかと思案し、数秒ほどしてから、高校二年の頃だと思い出す。帰り道で偶然出会ったのだ。

 一瞬目が合って、こちらに気づいていた筈なのに、叔父は俯き、他人のふりを装っていた。柄の悪い友人と一緒だったからだろう。
 叔父の態度に無性に悔しい気持ちになった冬希は、彼を指差し、
「あんなダッセェ大人にはなりたくねーな」
 聞こえるよう、わざと大きな声で友人に向けて言った。
 大人の癖に、臆病で情けない―――叔父に対し、そう強く感じたのも、ハッキリと思い出せる。

 ―――でも。ほんとうに臆病で情けないのは、自分だ。
 舌打ちし、欄干に寄りかかりながら、咥え煙草に火を点ける。

 ―――すべてを叔父の所為にすることで、惨めで弱い自分を隠していたに過ぎないのだから。
 灰が服に落ちても構わず、ぼんやりと考えて空を仰いだ。

 脳裏に、作文用紙の内容が浮かぶ。
 拙い文字で書かれた、とても素直な言葉。
 それは冬希の胸をじりじりと焦がし、同時に、遣る瀬ない気持ちにもさせる。

 幼い頃は、純粋に叔父を好いていた。
 その純粋さが今の自分には痛すぎて、腹立たしくもあり、そして遣る瀬ない。

 紫煙をゆっくりと深く吐いた直後、微かな物音が横から聞こえた。
 視認しようと横向いた冬希から数メートル離れた位置で、男が一人、橋の欄干に両腕を乗せ、流れる川を見つめている。
 近眼の冬希には距離が有るせいで、男の顔はぼやけて見えない。
 やや俯きがちに、川を眺めているのがなんとなく分かり、冬希を些か不安にさせた。
 しばらく息をひそめて様子を探っていると、煙草の煙が目に入り込む。
 痛みにぎゅっと片目を瞑りつつ携帯灰皿を取り出し、満足に喫めなかった煙草の吸殻を押し込んだ。
 ほんの少し逡巡してから、いつまでもここに居るわけには行かないと、ようやく決断する。
 後ろ髪を引かれながら、冬希はその場から静かに立ち去った。



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