かけひき…6

 キスされたと認識し、顔を紅潮させた冬希は、頬を押さえて飛び退くように離れる。

「ヤダ、その反応かわいすぎ。そんな初心な反応、いまどき女の子でもしないよ」
 ひどく可笑しそうに笑い出す彼女を、暫し呆然と眺め、揶揄されたのだと遅れて気づいた冬希は眉を寄せて睨んだ。
「からかったのかよ」
「ううん、試してみただけ。中学の時に言ってたでしょ、叔父さんにキスされたのが気になって仕方ないって」
「試してって…いや、それよりもおれ、そんなこと言ったのか?」
「うん、わたしと二人で飲んでた時に、酔いつぶれて…言ってた」
 半泣き状態で、とは、流石に麻耶も、冬希のプライドを尊重して言わずにいた。

「最悪だ…それだと他のやつと酒飲んだ時にも、口走ったかもしれねえじゃん」
 愕然とし、両手で頭を抱え、あおざめる。
 必死に記憶を辿ってみたが、当時の飲み仲間は多すぎて見当もつかない。
「だからね、冬希ってキスされたら好きになるのかなって。成人したら、一度試してみようと思ってたの。二十歳になると、なんでも出来そうな気分になるでしょう。冬希もしてみれば?」
「…誰に、なにをしろっていうんだ」
「叔父さんに、キス」
 さも当然のように返され、冬希の唇からは深い溜め息が零れる。
「そんなことしたら、笑いもんだ。周りからも、指差されて蔑まれるに決まってる」
「冬希ぐらい顔がよかったら、同性好きなのもありだよ」
「ねえよ。マヤは、さばさばし過ぎだ。例えば…めちゃくちゃ好きな相手に拒まれたら、この世の終わりって気持ち、ないのかよ」
「わたしは、勿体ないって気持ちのほうが強いから。自分に正直に行動したほうが、後悔も少なくて済むし」
 身軽な動きで堤内へ飛び降りた麻耶は、上手く着地した。
 あっさりした麻耶の声が背中に届いても、振り向かず、川の流れに目を凝らす。

「……強いのな」
「強かじゃないと、生きていけないもの。女だから。逆に、男は打たれ弱いんだってね? 過去の恋愛をいつまでも引きずったりして、未練たらしいの。男同士って大変そう」
「過去の…恋愛…」
 耳に入った言葉を、繰り返す。
 そうなのだろうかと思案して、別れた妻を想う祐一の姿が浮かび、胸の奥がずきりと痛んだ。
「…冬希って、キスされたら誰が相手でも、ってわけじゃないのね。そう考えると、冬希を今でも夢中にさせてる叔父さんってすごい」
「好きとか、違うって言ってるだろっ」
 苛立ちを強め、半ば八つ当たりのように口調を荒げて振り向くと、麻耶は和やかに笑っていた。
「ふうん、じゃあそういうことにしとく。ねえ、明日、うちに来て。父が注文した本、こっちに届いちゃって。郵送するの面倒だから渡して欲しいの」
 態度をまったく変えず、気を損ねた様子すら微塵も見せない姿に、怒りはすうっと静まってゆく。
 己の子供じみた部分が、情けなく、恥ずかしい。
 うつむきながら了承すると、麻耶は軽く手を振って、去ってゆく。
 同い年なのに、この差は何だろうと考え、冬希は重々しい溜め息を吐いた。
 そうしてから橋の上を確認すると、そこにはもう、祐一の姿は見当たらない。
 もう一度、深い溜め息を吐き、力なく項垂れた。



 翌日、約束通りに麻耶の家へ向かう際も、冬希は堤防沿いの歩道を通った。
 歩きながら祐一の姿を求め、目を凝らす。
 見つけた瞬間、冬希は瞠目した。

 橋の上では、いつもと変わらずに彼が佇んでいる。しかしその服装が、今日は違った。
 ダークグレイの品の良いスーツに身を固めた祐一は、遠目から見ても姿が良い。
 思わず見惚れてしまい、咥え煙草に火を点けるのも忘れていた。

 まるで引き寄せられるように数歩進んでから、はっと我に返り、近づいてどうするのかと首を横に振る。
 好きだと想う気持ちが消えない限り、関わるべきではない。
(麻耶にも、あっさり見抜かれたしな…もっと慎重にならねえと)
 勘のいい麻耶と違って、どんくさそうな祐一が気づくことはないだろう、と思案をつづけるが、万が一ということもある。
 同性を、しかも父親の兄弟を好きになった自分は、異常過ぎる。
 そう自覚しているからこそ、隠し通したい。
 特に、本人と両親には。

 きっかけは祐一からのキスだったとしても、好きだとは言われなかったのだから、あれはなんの意味もない行動で。
 勝手に好きになった自分が悪くて、異常で……そこまで考えた冬希は、唇を噛み締め、うつむく。
 救いを求めるようにジッポの蓋を開き、小気味良い金属音が響くと、少しだけ気が楽になった。

 ―――自分に正直に行動したほうが後悔も少なくて済む。

 麻耶の言葉が胸中に浮かびあがり、尾を引きながら消えてゆく。
 そんな生き方が出来る麻耶を、心底、羨ましく感じる。



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