かけひき…7

 想いを伝えた後で、もう二度と会わない関係なら、自分だって言えたかも知れない、とも。
 言い訳がましいなと苦笑してから、麻耶の家へ向かって進みだす。
 名残惜しそうに、祐一をちらりと見れば、彼は周囲を注意深く何度も見回し始めた。
 橋の上、周囲、ともに人影は見当たらない。
 しきりに辺りを気にして何度も確認している様子に、不安が過ぎる。

 ――気分が落ちてる時に見てると、やばくなっちゃうけど。
 ――やばくって、どんな?
 ――飛び降りたくなっちゃう。

 麻耶との会話が、ぐるぐると脳内で回り始め、目が離せない。
 ついに、祐一は欄干に手をかけた。
 驚き、口を開いた拍子に煙草が落ちたが、拾う間も無く、冬希は駆けだす。
 冷や汗が背筋を伝う感触に身震いした直後、祐一が欄干から身を乗りだそうとした。

「待て、待てよ、おいっ」
 必死に駆け寄り、声を張り上げる。
 猛スピードで接近してきた冬希に、すこし驚いた顔をしてから身体を戻し、祐一は困り果てた顔つきになった。
「冬希くん…み、見ていたのか…誰もいないと思ったんだけど」
 阻止できたことに安堵の息を吐いた後、冬希は自分の髪を苛立たしげに、ガシガシと乱暴に掻く。
「クビになって奥さんに逃げられたからって、死ぬことねえだろ。あんた、情けねえよ。そんなだから、駄目なんだよ」
「…すまない」
「そこで謝んな、腹立てるぐらいしろよ…」
 舌打ち交じりに、ぽつりと呟いた。
 多少憤るぐらいはしてくれないと、そこまで無気力なのかと、なおさら心配になってしまう。
「ユウ……叔父さん、もう自由だろ。なにが不満なんだよ?」
「…うん、その…なんていうか、うん…」
 ぼそぼそと喋る祐一を前に、冬希は無意識に詰め寄った。
「ハッキリ喋れよ。そんなだから、あんた駄目な大人なんだよ」
「そ、そうだな」
 うろたえて肯定しかしない、いつもの弱気な物腰には溜め息が漏れる。
「つーかさ、どうしてスーツ着てんだ。あの世まで出張する気かよ」
「それ、面白いな」
 端整な顔が、爽やかな笑みを刻む。言葉に詰まった冬希は頭を抱えた。
「面白くないっ! なんで、そんなにズレてんだよ」
「ズレてる…か?」
「自覚なしかよ」
 ちっと大きく舌打ちをしてから、新しく取り出した煙草に火を点け、深く吸う。
 肺に溜めた煙を一気に吐き出すと、いくぶんか気分が紛れた。

(…どうしたもんかな)
 デニムの隠しへ手を突っ込んだ冬希は、困惑する。
 関わらないようにするはずが、思わぬ事態に陥ってしまった。
 自殺を図った相手を、置き去りにする訳にゆかない。
 説得してから、父親に預けるのが妥当かと考える。
「あのさ、ここから飛び降りなんてすんなよ。自殺もやめろよ。親父だって悲しむしさ」
 優しく言えたなと、胸中で安堵している冬希を、祐一は無言で見つめていた。
 やや遅れてその視線に気づき、身体を強張らせる。
「な…んだよ」
 やっとのことで声を振り絞ると、祐一は目線を下げて煙草を指差した。
「煙草は、二十歳からじゃないのか?」
 眉を下げ、遠慮がちな問いをぶつけてきた。
 酒も煙草も中学の頃に経験済みだと告げたら、彼はどんな顔をするだろう、と。ふと考えるが、答えは決まっている。
 困ったように笑うだけで、このひとは、叱ることも出来やしないのだと。
「今年成人したから、おれ」
「…成人、した? そうだったのか、もう二十歳か…」
 驚いた表情のあとで、噛みしめるように呟く。
 彼のその反応を不思議に思い、怪訝な眼差しを向けた瞬間、冬希は腕を掴まれた。
「飯でも食いに行かないか。美味い店を知っているんだ」
「え? いや、おれ、友人の家に行く用があるし」
 掴まれた腕をちらりと見、なんとか平常心を保ちながら返す。
「友人?」
「そう。遅れると煩いんだ。すげえ美人だから、腹は立たないけどさ」
 強調すれば、気後れして離してくれるだろうと、冬希は思っていた。
 だが予想に反し、痛みを感じるほどに力が強まる。
「もう酒も飲める歳なんだ。いいだろう、冬希…」
 目を細めた祐一が、にわかに態度を変えた。
 普段と違って声のトーンも低く、その上、呼び捨てにまでされて、冬希はひどく戸惑う。
 気弱で情けない態度は、今はどこにもない。

「ひ、昼間っから酒飲む気か…って、ちょ、おいっ」
 驚きを隠せず、内心うろたえながらも言葉を紡いだが、強引に腕を引かれて焦りだす。
 振り払おうとしてみるも、信じ難いことに、祐一のほうが力が強かった。
 嘘だろう、と呟き、冬希は呆然とする。
 抵抗しなくなった甥を、少し先に停めてあった車の前まで歩かせ、助手席に押し込んで、こともなげに連れ去った。



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