かけひき…8

 訪れた料亭は、立派な門構えからして老舗の風格が漂っている。
 気圧されてしまい、奥まった場所に位置した個室へ通される間も冬希は黙ったままだ。
 落ち着いた雰囲気の座敷で、料理が運ばれたあとも、緊張が解けない。
 場違いと判断し、萎縮したままの冬希を見て、祐一が声を立てて笑った。
「そんなに硬くならなくてもいい」
「…だって、なんか、すげえ高そう。おれ、こんなとこ初めてだし…しかもこんなカッコで」
 黒のパーカーベストに、ダメージデニムといった、あまりにも不釣合いな服装の自分が恥ずかしい。
 居心地悪そうに視線を彷徨わせ、向かい側の祐一を、ちらりと見遣った。
 スーツの上着を脱ぎ、胡坐を掻いて姿勢良く座している彼は、みごとなほど様になっている。
 通い慣れた風体で、洗練された大人の雰囲気が色濃く漂い、すらりとしたベスト姿が男の色気をいっそう強めていた。
 成人したばかりの自分とは、雲泥の差だ。
 この男は本当に、大人の男なのだと思い知らされる。
「大丈夫だ。冬希は顔がいいから、なんでも似合う」
「…叔父さんが、そんな風に褒めるヒトだとは思わなかった」
 嫌味ではなく本心だったが、いつもの癖で、口調はぞんざいなものになった。
 それでも祐一は、柔らかく微笑む。
 以前なら会話する度にうろたえ、返答は聞き取り難いほどの小声だったが、今は別人のようだ。
 変貌ぶりに、冬希は居心地の悪さを隠せない。
 目のやり場に困っている冬希へ、祐一はビール瓶を片手に、すすめた。
 いそいで取ったグラスの中に、きめ細かい泡が立つ。
「ほんとに昼間から飲むんだ…」
「ああ。昼に飲むのが、いい。おまえも大人になれば分かる」
「大人にって、おれもうハタチなんだけど?」
「そうだったな。だが、まだ大人には見えない」
 無遠慮な発言に、意図せず顰め面になる。
 反論しようとしたが、祐一と目が合ってしまい、咄嗟に口を噤む。
「……が、ガキくさくて悪かったな」
 やがて唇を尖らせ、不満げに返したが、祐一は肯定しない。
 黙して、相も変わらず冬希を見据えている。
 無遠慮な視線が身体中へ注がれ、冬希はたじろぎ、うつむきだす。
 祐一に、見られている。
 ただそれだけで鼓動が速まり、頬は熱を帯びてしまう。気づかれまいと、急いでビールをあおった。

(おれ、なにしてんだろ…)
 説得するだけで、それ以上は関わるつもりもなかった。
 それなのに、こんな場所に来て、一緒に食事までしている状況に、頭を抱えたくなる。
 すぐにでも逃げたいと思う反面、同じ空間で過ごせることに、喜びを感じてもいる。
 相反する感情を持て余し、どうすればいいのかも分からず、ただ困惑するばかりだ。
(分からないことなんて、成人したら、なくなるもんだと思ってたのに…)
 そんな考えを持っていた自分は、よほど甘かったのだと痛感する。
 自分の幼さが恥ずかしくて堪らず、冬希は気を紛らわせようと、料理に意識を集中させた。

 思い詰めた表情をして、忙しげに箸を動かすその様子に、祐一の口元が緩む。
(相変わらず、冬希は分かりやすいな)
 一挙一動を暫くの間、面白そうに眺めていたが、久し振りの会話も愉しもうと口を開く。
「大学、大変なんだって? そんなに忙しいのか?」
「あ…うん、ゼミが。休み明けたら、研究範囲を更に広げるから、もっと忙しくなるし。クラシナ教授…おれのゼミ担当してるひと。助手を入れるって言ってて、昔からの知り合いらしいんだけど、あのクラシナ教授が絶賛してんだ。休み明けるの楽しみで、ゼミ自体もめちゃくちゃ楽しくて。植物の構造や変化とか、生態学と地理学使って研究したり、すげえ面白くて、この前なんかクラシナ教授が…」
 始めは遠慮がちだったが、喋っている内に熱弁に変わる。
 現地研究の話を夢中で語っていたが、途中で我に返り、冬希は押し黙った。
 大人の雰囲気を前面に出している祐一の前で、子供のようにはしゃいでしまったことが、無性に恥ずかしい。
 祐一はにこやかに微笑んで、何も言わない。それが余計に気恥ずかしく、いたたまれなかった。

「そ、それより…その、り…離婚したって、ほんとかよ」
「ああ。妻とは別れた」
 いともあっさりと肯定され、冬希は絶句する。



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