かけひき…9
一呼吸置いてから、グラスに注いだビールを一気に飲み干した。
結婚式に味わった、苦い感情が蘇る。
「あんたバカだよ、バカ。バツイチじゃん、かっこわりーよ、結婚したなら死ぬまで別れんなよっ」
激昂のあまりテーブルを乱暴に叩き、声を荒げたが、祐一は落ち着き払って鷹揚に頷いて見せた。
「そうだな、あの頃は軽率だった。私も、気が動転していたからな」
「…え?」
怪訝な顔をする冬希の前で、祐一は浅い溜め息を零す。
「あんなに衝動的になったのは初めてだった。男相手に、それも中学になったばかりの甥にだ。動転しないほうが、おかしいだろう? 無かったことにして忘れようと、私は逃げたんだ。丁度、婚約話が舞い込んできたからな、それに縋ってしまった」
目を閉じ、指で眉間をおさえて苦々しく語る祐一を、冬希は呆然と見つめる。
衝動的とは、キスをしたことだというのだけは、なんとなく分かったが、それ以外には思考がついてゆかない。
黙ったままの冬希を置いて、祐一はつづけた。
「だが、式の時…おまえの泣き出しそうな顔を見て、すぐに後悔した。私が逃げだしたばかりに、おまえを傷つけてしまったな。すまない」
「べ、べつに、謝って欲しいわけじゃねえし…泣きそうな顔もしてねえし、おれ…」
真摯な謝罪を受け止めきれず、冬希は視線を逸らす。
しかし祐一が名前を呼んだので、ばつが悪そうに瞬きを数回繰り返してから、やっと眼差しを合わせた。
互いの視線が絡み合うと、意味深に祐一の双眸が細くなる。
「まだ私を好きなんだろう、冬希?」
「……な、なん…で…」
不意打ちだった。
耳に残って離れない問いに、冬希の身体は小刻みに震えだす。
「眼は口ほどに物をいう。おまえの目は熱すぎるからな……私と同じだ」
「なに、なに言って、意味…分かんねえ…」
動揺して咄嗟に身を引くと、テーブルの脚に膝が当たってしまう。
振動でグラスが倒れ、零れ広がる液体に、冬希はあわてふためく。
ひどく取り乱して、焦るあまり服の袖で拭こうとする。
「冬希、落ち着け」
手で制しながら冷静な声を響かせ、祐一はおもむろに立ち上がった。
部屋を出、布巾を借りて戻って来ると冬希の隣に移動し、素早く机上を拭く。
「…ご、ごめん」
「気にしなくていい。それより、膝は痛くないか?」
思わぬ失態に祐一の顔をまともに見れず、うつむいたまま小さく頷いた。
平静になろうと煙草を取り出した矢先、祐一の声がつづく。
「本当に、もう二十歳か。意外と早いものだな。……冬希の名前は、私が考えたんだ」
髪に触れると冬希の身体が強張るのが伝わったが、祐一は手を引かない。
そのまま指に絡めるように、優しく、ゆっくりと梳く。
「冬に産まれたんだが、未熟児でな。今にも消えてしまいそうだったから、どうか長生きしてくれと、みんなの希みをかけて」
「……そんな話聞かされたら、これから吸えなくなる」
煙草を握りしめて気まずそうに小声で返すと、祐一の手が動きを変え、今度は頭を撫でた。
「いい子だな、冬希は」
「や、やめろよ、ガキ扱いすんな」
軽くその手を払って、離れようと身体を引いた瞬間、強い力で抱き寄せられる。
「な…ん…っ」
背中を抱かれ、驚く間も無く、唇が触れ合う。
浅くソフトな口づけだったが冬希は硬直し、見開いた瞳で呆然と祐一を見つめた。
「冬希…こういう場面では目を閉じるものだ」
至近距離で囁かれ、唇に吐息が掛かる。
身震いした後、急激に体温が高まり、冬希はあわてて身を捩った。
だが、祐一の腕はしっかりと絡まっていて離れそうに無い。
「は、離せよ、なんでまた、こんなコトすんだよっ」
「成人したのに、まだ分からないのか…鈍いな」
わずかに顔を背けて、祐一が深い溜め息を洩らす。
馬鹿にされたと捉えた冬希は、彼の胸を乱暴に叩いた。
「よく言われる。でもアンタに言われたくないっ、離せっ」
暴れもがいても、祐一は持て余した様子を見せない。それが逆に、冬希を苛立たせた。
いよいよむきになり、祐一の胸を渾身の力で押し返そうとした。
必死な様子をそれまで面白そうに眺めていた祐一が、不意に顔をずらす。
「うあ…っ」
耳朶をやんわりと噛まれて、冬希の身体がびくりと跳ねる。
次いで息まで吹きかけられると、甘い痺れが全身に駆け巡り、冬希はいとも簡単に脱力してしまった。
[前] / [次]